この世は美しい

 数年前に A I という映画がありました。
人間とうり二つのロボットが、母の愛を求めて人間になるため、未来の世界をさまよう。そんな話です。

人は、死を恐れます。
死ぬことは誰でも嫌です。
大抵の人は、健康で長寿でありたいと願うものです。
しかし、究極の長寿、不老不死というものが実現したらどうでしょう?
もし死が無くなったとしたら?
明日も、百年後も、一万年後も、同じように同じ年齢のまま自分が存在し続けたとしたら?
それは楽しいことなのでしょうか?
それは、そうありたいと、私達が願うものなのでしょうか?

映画の中で、少年ロボットは、とうとう最後に望んでいた母の愛を得ることができます。
そして映画はその後、彼の死を思わせる場面となって終わります。
不死の存在であるロボットが死せる存在である有限の命を持った時、愛を得ることが出来たと解釈できないでしょうか?

誕生があり、成長があり、死がある。
その中にこそ愛が存在しうるのではないかと思います。
もちろん、苦しみもあります。
死は苦しいものです。
しかし、愛と苦しみは無常という現実の二つの側面。
どちらか一方というわけにはいきません。
紙の表だけ欲しいといってもそれは無理です。
もれなく裏も付いてきてしまいます。

釈尊の、この世は美しい、人の命は甘美なものだ。というこの言葉。
愛と苦しみの葛藤のなかに、いのちの輝きを見る、人の世への愛に溢れた真実の言葉です。

住職合掌

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