唯我独尊

 唯我独尊とは読んで字のとおり、唯私のみが一人尊い、という意味です。
お釈迦様も生まれて早々凄いことを言うものだなと、何となく第一印象として感じますが、これは実はなかなか味わい深い言葉なのです。
この唯我独尊という言葉、一般には、独善的な独りよがりを多少の皮肉を込めて表現する時に使ったりしますが、本来の釈尊のメッセージは全く別の所にあるのだと思います。

日本では古来、和を持って尊しと為す。という聖徳太子の言葉が示すごとく、社会全体の調和を重んじる文化を培ってきました。
この様な文化の中では、個の意見や主張はどうしても軽視されがちです。
しかし、人間は社会の構成員であると同時に一個の考えや感性を持った存在です。
自らが社会の構成員であることを理解し、そのルールの中で行動することが出来るのも、一個一個の個人が自ら感じ、考え、それを実行することが出来るからです。
個がしっかりと機能してこそ、全体の社会もうまく動いてゆきます。
この個の認識につき、西洋の有名な哲学者は、我思う故に我有りと言いました。
それを釈尊はもっと感覚的直接的に天上天下唯我独尊と言ったのです。
私は今ここにいる。確かに存在している。ここから全てが始まる。
幼き釈尊の存在宣言と言ったところでしょうか。
自らの存在を自分自身しっかりと意識し、把握する。
自分は何を考え、どうしたいのか?
自己をしっかり見つめる眼を持つ人は、他の自己つまり他人の自己をもしっかり認識することが出来ます。
自分を見つめる眼を持たない人は、他人の心をも見つめることが出来ません。
自分を大切に出来ない人は、他人をも大切にすることが出来ません。
自分を大切に出来る人は、他人も大切に出来る人です。
今現在、地球上に自分という人間(あなたという人間)は、たった一人しかいません。
この事実をしっかり受け止めること。
この事実をしっかり受け止めると、自分の周囲にいる多くの人々が実は「多くの人々」という一括りから離れて、ひとりひとり違った生き生きした存在として感じられるようになると思います。

何となく過ぎて行く日常の中で、自分に自分を誤魔化さず向き合うこと。
これは実はなかなか難しいことです。
でも、難しくとも向き合ってみてください。
自分がたった一人しかいないと言うこと、この、今現在世界に唯一人という凄さを感じ取ることが出来た時、自分以外の存在もそれぞれ同様の存在であることに気づき、自己をこえて拡がってゆく心の中の優しさを感じることが出来ると思います。

いま生きて在るということ、本当に素晴らしいことです。

住職合掌

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