感応道交

 感応道交(かんのうどうこう)とは、自由に心が通じあうこと。
かつてお釈迦様が、説法の際に一輪の花を皆に示し、何も言葉を話されなかった時、弟子の一人である摩訶迦葉(まかかしょう)のみがその心を理解して微笑を返した。という故事があります。
人と人、人と仏、互いに心が通じ合う時は言葉は要りません。
あちらからこちら、こちらからあちら、自由に心が行き交うことが出来る。これが感応道交の世界です。

 普段の私達の心は自分で思っている以上にかなり我が儘です。
自我が邪魔をして、なかなか自分以外の者に心を開くということが出来ません。
なかなか開くことの出来ない心を何とかして開き、他者と、仏と感応道交するために仏道修行があるとも言えます。
道元禅師の言葉に
自己をはこびて万法を修証するを迷とす、万法すすみて自己を修証するはさとりなり。
というのがあります。
ここで”万法”とは、この世界全て、あるいはこの世を動かしている理(ことわり)という程の意味です。
さとりというものは、自分が悟るというものではない。世界が(万法が)自分の中に悟りとしてやって来るのだ。 ということ。

 自分が自分がという心を離れ、本当にきれいな気持ちになれた時、相手の心がすっと私達の心に入ってくる。私達の心もすっと相手の心の中に入っていける。
これが感応道交の世界。
さとりの世界であり。
仏の世界です。

 8月はお盆の季節。
しばし、日常を離れ、孤独なわがままな心を脇へどけて、亡き人々の魂と心の交流をしてみてください。
多くの魂と命に包まれて生きている自分を感じた時、そこから、感応道交の世界が始まります。

住職合掌

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