聴於無声

 聴於無声−声無きに聴く、この言葉は私が小さい頃からお世話になっている、ある医院の待合室に掲げてある言葉です。
この医院の院長先生は誠に名医で、子供の頃、いつもにこにこ顔のこの先生に看てもらうと、どんなにお腹が痛くても、もう大丈夫という安心感からかなぜか幾分痛みが和らぐ気がしたものです。
医は仁術といいますが、誠にそれを地で行っているような先生です。

先生は、この聴於無声−声無きに聴く、に、相手の身体の状態、心の状態を相手が語る言葉からだけでなくその雰囲気や様子からも察知してその人の病のありようを捉える…そんな医の道の心構えを託されているのではと思います。
調べてみましたら古い中国の格言のような言葉らしいのですが、本来の文脈を離れても人間の社会や心の核心をついている言葉は、時代を超え、国を超えた普遍性を持っているようです。

そして、この言葉 聴於無声−声無きに聴く、は医師の心構えとしてだけではなく、広く一般の社会に於いても人と人とのコミュニケーション−意思の疎通を図る上で心すべき事のように思います。
人は複雑な生き物です。常に真実を語るとは限りません。また、語りたくても語れない場合もあります。そんな、人の言葉だけにとらわれず自分の持てる感覚を総動員してその人の本当の心を読む…難しいことですが人と人との関係が希薄になってきている今の世の中ではこの「聴於無声−声無きに聴く」大事な事なのではないかと思います。
住職合掌

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