日々是好日

日々是好日(ヒビコレコウジツ、あるいは、ニチニチコレコウジツ)…これは、お茶席の掛け軸などでも見かけるよく知られた言葉です。
毎日良い日で結構結構という趣で、なんとなくのんびりと春の日向の縁側でくつろいでいるような語感があります。
人生、ずーっと暖かい縁側でくつろいでいられたらどんなに幸せかとも思いますが、現実はそんなわけにはいかず、山あり谷ありハプニングありのとても平坦とは言えないのが私達の人生です。
そんな世の中の荒波にもみくちゃにされながらも、その状況下で「日々是好日」と言い切る。ここに禅の心があります。

雨の日は雨の日のように、
風の日は風の日のように、
晴れの日は晴れの日のように、
つらいものはつらく、楽しいものは楽しく、
自分の生きる現実がどんなものであろうと、どんなに厳しいものであっても、また逆にどんなに楽な状況であっても、常に現実をありのままに受けとめ、自分であり続け、及ぶ限り適切に行動していく。
これが禅でいうところの平常心であり、また、日々是好日の心であります。

しかし、一口に”現実をありのままに受けとめる”とか、”自分であり続ける”とか言っても実際にはそう簡単なことではありません。
人の心は常に揺れ動きます。
喜びがあり、怒りがあり、哀しみがあり、楽しみがあります。
すごく嬉しいことがあったり、滅茶苦茶頭に来てしまうことなど、色々。
そんな中で、私達はつい喜なら喜、怒なら怒の感情にとらわれて、自分でその感情を増幅してしまうことがあります。
増幅された感情は、次第に現実から離れていき、現実から離れた感情は往々にしてまわりを傷つけ、さらには結果として自らも傷つけてしまう。
良いことはありません。
喜怒哀楽はそのままでいいのです。
そのままにして、深追いしないこと。
そして、そんな自然体でいつつ、時宜に応じて自分なりのベストを尽くす。
これがつまり「日々是好日」ということ。

今、季節は春、桜が薄紅色に満開に咲き誇っています。
その花弁は時期が来ると速やかに風と共に去り、
枝枝は一気に新緑の葉に覆われ、様々な虫や鳥たちの憩いの場となります。
桜はありのままの時を生きています。
まさに、日々是好日そのもの。
私達も、桜のように爽やかに生きたいものです。
住職合掌

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