ありがとう

 「ありがとう」という言葉。
漢字で書くと「有り難う」です。
有り難い−−それほど「有る」ことではないことが、「有り得た」−−存在や機会が少ないもの(こと)があり得たということ。
つまり、本来得ることが難しいもの(こと)をたまたま得ることが出来た−−そのことに対する嬉しさや感謝の気持ちを表しているのが、「有り難う」という言葉であるように思います。
 お腹が減ってどうしようもない時、誰かが食べ物を分けてくれた−−「有り難い」ことです。
 喉がカラカラに渇いている時、水を分けてもらえた−−「有り難い」ことです。
 知らない土地で道に迷っている時、親切な人が立ち止まり丁寧に道を教えてくれた−−「有り難い」ことです。
ポイントだと思うのは、「有り難い」という思いが生まれる前に、まず何かが不足している状況があるということです。
何かが足りず、欠けていて、それを欲しているのだけれど、手に入れることが出来ない。
そのような状況が先ずあり、そののち欲しているものが手に入ることになって、自然に「有り難い」という気持ちが出て来ます。

ここで重要なことは、この「有り難い」という気持ちが自然発生的なものであるということ。
自然に心の中に出てくるものであり、感じられるものであるということです。
「ありがとう」という言葉は、単なる礼儀上だけのものではなく、人間の自然な感情を表明したものと言えます。

この自然な感情の自然な発露である「ありがとう」を言われると、言われた方もやはり自然になんとなく爽やかな気持ちの良い感覚を心の中に感じます。

人は支え合って社会を作り、その中で生きています。
お互いがお互いを支え、お互いがお互いの不足を補い合いながら生きています。
現代は、あまりに社会の構造が複雑になってしまい、どこでどう誰が誰を支えているのか分かりづらくなってしまっていて、勢い、個人が自分一人の力で生きているという錯覚を起こしてしまいがちですが、人間が正に「人間」という字の如く人と人との間で存在し得ているという本質は何百万年も前に人類が誕生した時から何も変わっていません。
「ありがとう」という言葉は、そんな支え合って生きている(そう意識しているいないに関わりなく)私達の心の奥底に語りかけ、人と人との心をつなぎます。
そして逆に、「ありがとう」という言葉の欠落は、人と人との心のつながりが切れていってしまうということ。
これは寂しいことであり、お互いの幸せを少しづつ損ねていくように思います。
現代は「個」を大切にする時代。
時代を抜きにして考えても、やはり「個」は大切だと思います。
しかし、「個」は「全体」があってこその「個」です。
世の中の全ての「個」が、お互いに健康で気持ちの良い「個」であるために「ありがとう」というお互いの支え合いを心の底辺で確認する言葉は、非常に大切なキーワードであるように思います。
住職合掌

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