彼岸

人はみな、それぞれに生きている限定された現実があります。
自分が生きているこの現実が嫌だからといっても、他人の人生と自分の人生とを取り替えることはできませんし、元に戻ってやり直すわけにも生きません。
私達の人生は、私達自身がこれまで生きて来、今現在を生き、そしてこれから生きて行くであろう人生がただ一つあるのみです。
過去から現在を通って未来へと続いているただ一つの人生。
それが私達の人生です。
そして、私達の人生の最後には、かならず死が待っています。
あまり考えたくありませんが、仕方がありません。
死は避けようのない事実です。
今のこの日常は永遠には続きません。
人生は、いつかは終わります。

私達は、死んだ後どうなるのでしょう?
生身の身体は元素に分解され、自然界に帰って行きます。
魂も私は、大きな地球の”いのち”に融合し還ってゆくと感じています。
地球の”いのち”とは、万物に力を与え生命を創り出し、更に生命に死を与え、常に新しい存在を造り続けているエネルギーの根源のようなもの。
それは、仏の”いのち”でもあります。
そしてまた、私達の生きた事実−−言葉や行動は、共に生きた人々の心の中に記憶として残ります。
死んで終わりではありません。
物質的にも精神的にもすべては繋がり、続いています。
過去から現在、そして未来。
人間から次の世代の人間、そして更にその次へ。
自然界の植物も動物も人間も、すべて地球という大きな一つの”いのち”の様々な現れです。
彼岸を思い、彼岸に心を向けるということは、私達を生かし包みこんでいるこの地球の大きな”いのち”の限りない力と優しさを感じ、そこに心を合わせてゆくということ。
生きているのではなく、生かされているという感覚を心の中に本当に持ち得た時、私達は彼岸の安らぎの世界に幾分なりと近づいているように思います。
住職記

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