おくりびと

おくりびと−−少し前に話題になった映画です。
私も、観たいと思っていたのですが、映画館へ行く期を逸してしまい、ようやく先日ビデオで観たのですが、静かな映像の中にいのちの大切さをしんみりと暖かく感じさせてくれるいい映画でした。
映画の中で、おくりびととは、亡くなった方の遺体を綺麗に棺の中に入れる納棺師という職業のことを指しています。
この映画を見て思ったのは、私達は皆、それぞれにおくりびとなんだなあということ。
はじめ、納棺師となった主人公が、周囲から死体を扱う卑しい職業だと言われたり、扱われたりする場面が出てきます。
妻も、夫の仕事を受け入れられず、ついに家を出て行ってしまいます。
それでも、主人公は納棺師の仕事を辞めようとはしません。

人は誰でも死にます。
でも、誰もそれを考えたくない。
自分が世の中から消えてしまうということなど考えたくないのです。
だから死は忌むべきものされ、世の中から日常的に隔離されている。
主人公が周りの人々に冷遇されるのもそこに原因があります。
世の中がどのように変わっても、死は厳として存在しています。
避けられながらも厳然として日常の中にある死に直接向き合うことによって、自分の生をより確かなものに感じ取ることができる。
死は忌むべきものではなく、人間にとって大切なものだ。
そんな心の動きが、主人公に納棺師という仕事を続けさせたのではないかと思います。
映画の途中で、いきなり山盛りのフライドチキンがアップで映し出されます。
そして、社長が「これもご遺体なんだよなあ、でも、うまいんだよなあ、困ったことに」
と言い、主人公が「そうなんですよね、困ったことに」と言いながらハフハフパクパク美味しそうに食べるシーンが出てきます。
この場面は私は、私達の生のありようを見事に端的に表現している素晴らしいシーンだと思います。
仕事で扱う遺体も、目の前にあるフライドチキンも動物の死体であることに変わりはありません。
私達の生は、他の生き物の死によって支えられていることを理屈ではなく、映像で感じさせてくれています。

生と死は、上と下、右と左、プラスとマイナス、裏と表と同じように片方がなければもう一方も存在しません。
生だけ、死だけ、という事はないのです。
生があれば必ず死があり、死があるということは必ず生もあります。
映画の最後の方で主人公の妻が帰ってきて、お腹に赤ちゃんができたことを伝えます。
多くの死を見てきた主人公にとって、新たな命の誕生は、人一倍嬉しく感じられたのではないでしょうか。
死をしっかり受けとめることによって、生もまた輝きを増すように思います。
住職記

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