石徳五訓

 石徳五訓
 一、奇形怪状無言にして能く言うものは石なり。
 二、沈着にして気精永く土中に埋れて大地の骨と成るものは石なり。
 三、雨に打たれ風にさらされ寒熱にたえて悠然動ぜざるは石なり。
 四、堅質にして大厦高楼の基礎たるの任務を果すものは石なり。
 五、黙々として山岳庭園などに趣きを添え人心を和らぐるは石なり。

 この石徳五訓(せきとくごくん)は私が子供の頃からずーっと書院の鴨居の上に額に入れられて掲げてあり、子供の頃は、なんで「石」のことをわざわざこんなに書き連ねるのか?
それに、…石なり…石なり…って、書いてあることはなんとなくわかるけど、当たり前のことばかりだし、だから何なんだろう?
と不思議に思ったものでした。
 たしかに、ただ単に様々な石のありようを書いてあるだけ。というのは事実ですし、子供が読んでも大人が読んでも文章の意味が変わるわけでもありません。
ただ、それなりに時を経て今読み返してみると、文の意味そのものは変わらなくても、それを受け取るこちら自身が変わったがゆえに、新しい意味が加わってくるように思います。
 何が正しく、何が間違っているのか、世の中の基準があまりに多様化してしまい、心の拠り所を失っていまいがちな今の世の中を生きている一人として、この「石」について書かれた5条の言葉は何か非常に心を打つものがあります。
人は弱い生き物です。
弱いがゆえに柔軟であり、その資質によって巨大な物質的社会的ネットワークを作り、今、便利な生活を享受しています。
しかし、それがゆえに周囲の状況に影響されることも多く、大人になるにつれ、周りとの摩擦も多くなり、つい心がすり減っていってしまうようなこともあります。
そんな私達のおかれている心の状況を前提にこの石徳五訓を読んでみると、何かしみじみとした落ち着きというか安心感を感じることが出来るように思います。
人の心は、様々に揺れ動きます。
一方、石は不動です。
百年でも千年でも、変わらぬ姿で存在し続ける。
そこに、我々はある種の憧憬のようなものを感じるのでしょう。

 さて、年が変わり、今年は平成22年。
政治も経済も相変わらず先行き不透明です。
その中でどう生きていったらいいのか?
石のようにとまではいかずとも、まず、自分の心だけでも静かに落ち着け、じっくりと周りを見、自分を見据えて確実な歩みを一歩一歩進めて参りましょう。
住職合掌

今月の言葉 に戻る