光陰は矢よりも迅かなり

 光陰は矢よりも迅かなり、
 身命は露よりも脆し、
 何れの善巧方便ありてか
 過ぎにし一日を復び還し得たる。
   「修証義」より

 一般に、「光陰矢のごとし」といいます。
時間の過ぎゆくのは、矢のように速いという意味です。
しかし、ここでは「光陰は矢よりも迅(すみや)かなり」…矢よりも更に速いと言っています。
そして、身命は露よりも脆(もろ)し…私達の体の命は露(つゆ)よりももろい。
過ぎてしまった一日を取り返す方法などどこにもない。
善巧方便(ぜんぎょうほうべん)というのは上手な方法というような意味です。

今という時、今日という日は過ぎてしまえばもう永久に戻ってきません。
そして、いつかは分かりませんが誰であれ人は必ず死にます。
ガンになるまでもなく、私達は自分の人生の行く手に死があることを知っています。
でも、あまり切実にはなれない。
なぜなら、それがいつか分からないから。
ガンなどの不治の病になると、その分からなかった命の期限を目の前に突きつけられます。
そして、自らの命と真っ正面から向き合うことになる。
あるいは向き合わざるを得なくなる。
そこに到ってはじめて命の尊さ、有り難さを感じる。

頭で理解するということと、「感じる」ということは違います。
「感じる」ことによってはじめて人は本気で行動することが出来るのだと思います。
でも、病気になってから本気になっていたのでは、人生の時間がもったいないように思います。
命の尊さを感じることは、実はそんなに難しいことではないのかもしれません。
ただ、私達の心が無意識に自己の死という現実を避けてしまうように働くため、「感じる」ことを難しくしているのでしょう。
しかし、落ち着いて、感覚を研ぎ澄まして、自分の命と周りの世界との関わりに静かに心を向ければ、この自分の中にある命の脈動を感じ取ることが出来るように思います。

せっかく授かった命です。
大切にというよりも、存分に生ききるべきです。
これを書いている今、夏の終わりを告げるツクツクボウシが外で鳴いています。
儚い命の代表のようにいわれる蝉ですが、私達も見方によっては充分に儚い命です。
私達の夏もいつか終わります。
夏が終わる前に何をするか?
寝転がってテレビを見ている暇があったら、少し考えてみた方がいいかもしれません。
住職記

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