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十二月 身命は露よりも脆し 何れの善巧方便ありてか 過ぎにし一日を 復び還し得たる |
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「善巧方便:ぜんぎょうほうべん」とは、巧い工夫や方法。 人の命は儚く。 どんな巧い工夫や方法を使っても過ぎ去った時間は帰ってこないということ。 |
「修証義」より |
十一月 壺作りの器 |
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「壺作りの作った器が、いかなるものでも破壊をもって終わり、破壊を超えることが出来ないように、全ての生きとし生ける者どもは、死ぬきまりのもので、死をもって終わり、死を超えることは出来ない。」 |
原始仏典「サンユッタ・ニカーヤ」より |
十月 心月輪 |
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心月輪(しんげつりん)、良寛さんが、捨てられそうになった鍋のふたに書いた有名な言葉です。 「心」も「月輪」も仏様の心のこと。 秋の澄んだ夜空に浮かぶまあるい月を見ていると、なにか自分の心も澄んでまあるくなってくるような気がします。 |
住職記 |
九月 万法すすみて 自己を修証するはさとりなり |
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意味は、「さとりとは、自分の力で得るものではなく、向こうからやってくるものである。」 この言葉は道元禅師の伝えた仏法の真髄を表しています。 全てを仏様にお任せし、仏の道をただひたすらに歩み続けていくその先に、さとりの世界が自然と向こうからやって来ます。 |
住職記 |
八月 お盆と終戦記念日 |
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年ごとに暑さを増す日本の夏。 お盆はこの夏の盛り。 そして、お盆期間中の八月十五日は太平洋戦争の終戦記念日です。 大地がゆらめく暑さの中、ご先祖への供養と共に、戦争で亡くなっていった方々の思いにも心を向けて頂きたいと思います。 戦争で亡くなられた方々への一番の供養は、彼らの思いを忘れないことだと思います。 |
住職記 |
七月 仏道をならうというは自己をならうなり |
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これは、曹洞宗の開祖道元禅師の言葉です。 仏道修行とは結局の所、自分と向き合い、本来の自己を知る道だということ。 本来の自己を知り得た時、仏の世界が大きく開き、限りない安らぎを得ることが出来ます。 |
住職記 |
六月 水無月 |
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六月は梅雨の季節。 古名は水無月(みなづき)。 水が無い月と書きますが、本来は「水の月」という意味だそうです。 雨は、降りすぎても困りますが、降らなければさらに困ります。 水が無ければ生き物は生きて行けません。 水は命の源、しとしとと降る雨のお陰で私達は生かされています。 |
住職記 |
五月 身をけずり 人に尽くさん すりこぎの その味知れる人ぞ尊し |
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この歌は、永平寺の庫院(くいん:厨房のこと)の前にある大きな摺子木(すりこぎ)の横に掲げてあるものです。 摺子木にはならずとも、摺子木の有り難さの分かる人間でいたいものです。 |
住職記 |
四月 為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり |
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米沢藩主、上杉鷹山公の有名なこの言葉。 「やればできる。やらなければ何事も出来る訳がない。出来ないというのは、人が単にやろうとしないだけである。」という意味。 満開の桜を前に心に染みます。 |
住職記 |
三月 思いやる心 |
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この冬は例年に増して厳しい寒さでした。 しかし、暑さ寒さも彼岸まで、少しずつ季節は春へと向かっていくことでしょう。 さて、今月十一日は一昨年大震災が起こった日。 最近、あまり世間の話題に上らなくなりましたが、被災地ではまだつらい日々を過ごしている人が多勢いらっしゃいます。 自分がその立場だったらどうだろうか… 人を思いやる心をどうぞ大切に。 |
住職記 |
二月 涅槃会 |
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--涅槃会(ねはんえ)-- 今月十五日はお釈迦様のご命日。 お寺では涅槃会という法要を行い、お釈迦様へのご供養を致します。 涅槃とは、煩悩の炎をすっかり吹き消すということ。 煩悩の無い平安な心の世界、それが仏の世界です。 |
住職記 |
一月 ともに妙法を単伝す |
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--ともに妙法(みょうほう)を単伝(たんでん)す-- 妙法とは仏の教え。 その教えは、お釈迦様から今に至るまで多くの仏弟子達によって単伝されてきました。 単伝とは…全く変わらず寸分違わず伝わるということ。 時代が変わっても、苦しみを除き、幸せを求める仏の教えは何も変わることはありません。 新年にあたり、皆様の万福多幸を祈念申し上げます。 |
住職記 |
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