お盆と終戦記念日

 私の祖父は太平洋戦争においてニューギニアで戦死いたしました。
酷熱のジャングルの中、食うや食わずで戦い、敵弾に倒れたと聞かされています。
南方諸島で、同じように戦死された方は何万といるのではないでしょうか。
そして、太平洋戦争全体での日本の死者は軍人軍属民間人合わせて約300万人。
この300万人の方々にそれぞれ家族がいて、その数だけの悲しみが日本の人々の心の中に深く織り込まれています。
しかし、どのような辛いことがあったとしても、時間の流れは良くも悪くも全ての記憶を少しずつ薄れさせていきます。
それは、個人にとっては救いとなることもありますが、一つの民族として、国として、忘れてはいけない事、記憶を薄れさせてはいけない事もあると思います。
どのような理由があるにしろ、戦争は結果として悲しみと憎しみを生み出すだけです。

人を殺し、結果として悲しみと憎しみしか残さない戦争。
この戦争を起こさせない抑止力となるのは、今生きている我々の心の中にある、戦争の犠牲となった人々の苦しみと悲しみの”追体験”ではないかと私は思います。
人は直接戦争を体験した人の話や、本や映像から、想像力でその状況を追体験することが出来ます。
特に親しい人から直接聞く戦時中の話は、今の若い人達には日常とかけ離れているがゆえ有る意味興味を持って聞くことが出来るのではと思います。
思い出すのは嫌かも知れませんが、どうか今ご健在の戦争を体験された世代の方々、孫やひ孫達に戦争の時の話を特に一番苦しかった悲しかった体験を話して聞かせてあげて下さい。
そのことにより、戦争の記憶は次の世代に引き継がれ、戦争の抑止力となっていくと思います。
語らなければ、伝えなければ、時の流れの中で苦しみの記憶、悲しみの記憶は少しずつ薄れ、いつか消え去り、結果、人々の心が何かのきっかけによって戦争へと傾いて行ってしまうかもしれません。
過去の戦争は、沢山の苦しみと悲しみを生み出しました。
その苦しみと悲しみの記憶こそがおそらく戦争を起こさないようにすることの出来る唯一の力ではないかと思います。
戦争を始めるのは、本質的に人間あるいは人間の集団の感情です。
人間の集団の感情は理性で抑えることは出来ません。
人間の集団の感情を抑えることが出来るのは、やはり感情、つまりその集団の構成員がそれぞれ持っている戦争の苦しみと悲しみの感情なのではないでしょうか。
戦争の苦しみと悲しみの記憶を伝え続けていくこと、それこそが戦争で亡くなった方々への一番の供養であり、この国に生きる私達の為し続けていかなければならないことだと思います。

太平洋戦争で亡くなられた方々のご冥福をお祈りすると共に、我々日本人が永久に戦争の苦しみと悲しみを忘れないでいるよう切に祈ります。

住職記

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