三界唯心

 「三界唯心」とは、字義通りには、「三界はただ心のみ」。
三界とは、欲界・色界・無色界という輪廻する者が生死を繰り返す三つの世界のこと。
欲界・色界・無色界の順に煩悩が少なくなっていきます。
この三界において真実に存在しているのはただ心のみ。というのが、「三界唯心」の意味です。
華厳経というお経から出た大乗仏教のキーワードとも言えるこの「三界唯心」。この言葉の奧には非常に深い世界が広がっています。
「この世界に真実に存在しているのはただ心のみ」とは、この世界に本当にあるのは実は私達の心(意識、認識作用)のみであり、その他のもの、つまり私達の肉体も親も子供も目の前のイスも机も山も河も海も、全てこの現実は人の心が自らの心の中に映し出した幻のようなものであるということです。
以前、マトリックスという映画が流行りましたが、この「三界唯心」を字義通りに解釈すると正に現実の世界があのマトリックスの世界だと言っていることになります。

そもそも仏教は、世界の存在や人間の心の働きについての釈尊の深い洞察から始まった宗教です。
世界を知覚する力(心)を持った存在である人間がいなければ、世界もまた存在しない。三界唯心の考え方を広げるとそういうことになります。
また、更に進めて、人の心のありようでこの現実も変わってゆくとも言えます。
全ては人の心しだい。
三界唯心とはつまりそういうことなのだと思います。
人の心しだい、自分の心しだいで全世界の全てが決まる。
全世界=己の心。
これは究極の実存主義ともいえます。

禅では、この「全世界=己の心」を直に体験することを「悟り」といいます。
頭で分かるのではなく、体全体で肉体的感覚として世界と自己の同一を感じること…それが禅の目的であり、全てです。

風薫る五月。
広い野原で爽やかな風を体いっぱいに感じるのは誠に心地よいものです。
風も自己であり、暖かい陽の光も自己そのもの。
三界唯心の世界は眼前にどこまでも広がっています。
住職記

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