身心自らも愛すべし 自らも敬うべし

 先日、フランスのパリでまた爆弾テロ事件が起きました。
IS(イスラミック ステイト)の仕業とされています。
彼らは体に爆弾を巻き付け、多くの人が集まる中で自爆しました。
最近は、こういった自爆テロが頻発しているため、「またか」という感覚です。
自爆していく彼ら彼女らはどのような気持ちで自爆し、死んでゆくのか?
かつての日本軍の神風特別攻撃隊で散っていった若者達のように、国のため、家族のため、愛する人々のためにと思って死んでいったのでしょうか?
報道では、神の国を造るため自爆テロを行えば殉教者として天国に行くことが出来る、と自爆実行犯達は教えられているとのこと。
宗教がバックにあるとはいえ、若者達が次々に自爆テロに加わって来るという状況の背景には彼らがおかれている過酷な環境があるように思います。
生まれた時から戦争があり、戦争が日常、親や兄弟や友人や妻や子を戦火の中で失いながら生きてきた。
敵は大まかに言えば非イスラムの欧米。第一次大戦後に中東を自分たちの都合で分割し、強引にイスラエルを作り、現在に至る紛争のもとを作った張本人。
自爆テロの犯人達は、ある意味歴史の被害者と言うことも出来るように思います。
今、パリでの自爆テロへの報復としてフランス軍によるIS支配地域への空爆が行われています。
この空爆により、当然民間人も犠牲になっているでしょう。
犠牲者には家族がいて、友人もいる。
空爆は、未来の自爆犯達を作り出しているとも言えます。
恨みの連鎖が続いてゆきます。
どちらが良い悪いではありません。どちらにも言い分があります。
報復は報復を呼びます。恨みは更なる恨みを作り出します。
恨みを晴らすより、恨みをじっとかみ殺す方が何倍も難しい。
現実には、やられたらやり返すのが、この世の常識です。
結局、人の世から戦争が無くなることは当分ないのでしょう。

私達に出来ることは、まずは隗より始めよ。つまり自分自身から。
せめてまず、自分のこの頂いた命を大切にすると言うこと。
自分の命を大切にするその先に、他人の命も大切に出来る自然な思いやりの心が続いています。
地球に住む70億の人すべてが、自分の命を大切に生きることが出来るようになった時、この世の中から戦争が自然に消えていくように思います。
住職記

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