晩秋の月

 月はよく仏の心を表すたとえとして使われます。
静かに天空にあり、見上げて探さなければその所在は分からないのですが、確実に空のどこかにある。
そして、全てを照らす光を静かに放っている。
この世を見守る仏の心を表すのに誠にぴったりです。

秋から冬にかけて、澄んだ空気の上に輝く月は本当にきれいです。
特に満月の頃は、寒くてもしばらく見入ってしまうほど美しい時があります。
先月夜、外出して家に帰る途中にきれいな月が出ていたので、一緒にいた娘に「月がきれいだな」と言ったら、「あ、そうだね」とチラッと月を見て言っただけで元のスマホの画面に眼を戻してしまいました。
肩透かしを喰らった気分でした。
今、子ども達はLINEに夢中です。
夜遅くまで、メッセージのやりとりでスマホとにらめっこをしています。
本人に聞くと、寝たいのだが返事待ちのこともあるとのこと。
LINEが便利なのは分かるのですが、道具に人が振り回されてしまっている現況はいかがなものかと思います。

考えてみると、今の私達はスマホやテレビやパソコンを通じて人や社会とのコミュニケーションをしていることが非常に多いように思います。
スマホやテレビやパソコンは、便利であっても結局は道具。
大切なのは、その向こうにある人や社会などの現実です。
やはり、なまの現実に直接触れることを大事にしなければと思います。

さて、今は月の綺麗な季節。
スマホやテレビといった現実との中継道具をいったん横に置き、まさにこの瞬間に輝いている、釈迦やキリストも同じく眺めたであろう月を、しばし眺めてみてはいかがでしょう。
自然に心が静まり、穏やかな気持ちになってくることと思います。
静かな光が、静かな心をもたらします。
有り難い月の功徳と言ってもいいかもしれません。
住職記

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