閑らに過ごす月日は多けれど…

 「閑(いたず)らに 過ごす月日は多けれど 道をもとむる 時ぞすくなき」
傘松道詠(さんしょうどうえい)という道元禅師の和歌集に出てくる歌です。
意味は、
――何もしないまま過ぎて行ってしまう月日(時間)は多いけれど、道(仏道)を求めて精進する時間は誠に少ないものである――
過ぎゆく時の中で、煩悩を抱えた我々にとっての仏道修行の難しさを詠んでいます。
道元禅師は幼少の頃に出家しています。
そして53才で亡くなるまで、厳しい修行を続け真の仏道をひたすら求め続けた人生でした。
いたずらに過ごした月日などはなく、常に道を求めていました。
詠まれた歌とは全く逆と言っていいでしょう。
そんな道元禅師であるからこそ、ほんの僅かな「閑らな」時間も心の中でクローズアップされたのではないでしょうか。

2月15日は涅槃会と言い、お釈迦様のご命日。
お釈迦様は亡くなられる際、「修行僧達よ、もろもろの事象は過ぎ去るものである。怠けることなく修行を完成しなさい。」と説かれています。
言葉は違いますが、道元禅師の詠まれた歌と同じ事を言っているように感じます。

 時は常に流れている。
 怠るな。
 目を覚ませ。
 道を求め、修行を続けよ。
お釈迦様と道元禅師の言葉を合わせるとそんな感じになるでしょうか。

慌ただしい1月が終わり、もう2月。
時間の過ぎてゆくのは本当にあっという間です。
求めるものがあるのなら、即刻ただ今より始めるべきです。
そのうち、は、いつまで経ってもそのうちであり。
明日、は、明日になっても明日です。
始めるのなら、「今」をおいて他にありません。
今、どうするか。
今を見つめ、行動しましょう。
住職記

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