心をおさめたならば、安楽をもたらす

 「心は、捉え難く、軽々とざわめき、欲するがままにおもむく。その心をおさめることは善いことである。心をおさめたならば、安楽をもたらす。」
この言葉は、釈尊が実際に語られた言葉を集めたダンマパダという経典のなかに出てくるものです。
心をおさめる―さらっと書かれていますが難しいことです。
そもそも、仏教の修行はこの「心をおさめる」ためのものだとも言えます。
人間には感情があります。旗が風にはためくように、現実の生活の中で揺れ動いているのが人の心です。
その心をおさめる―つまり、コントロールするということ。
自分自身の心と向き合って考えてみると、その時々の雰囲気や感情に流されて行動してしまい後で後悔すると言うことは誰しも経験があると思います。
自分自身の心を完全にコントロールすることは至難です。
完全には出来なくても、今の自分よりもう少し自己の心=感情を制御できるようになれば、そうなった分だけ楽になれる。つまり安楽になれる。
少しだけ前へ、次にもう少しだけ前へ、その先の極限に仏の世界があります。
しかし、あまり先を見てもやる気が失せてしまいます。

禅の言葉に脚下照顧(足元を見よ)という言葉があります。
まず姿勢を正して静かに今の自分の心と向き合ってみる。
そうすると自然に心が落ち着いてきます。
心が落ち着いてくるのは気持ちが良いものです。
つまり安楽と言うこと。
坐禅はどんな人でも、坐れば坐っただけ、その人をその人なりに安楽にしてくれます。
坐禅は背筋をピンと伸ばして坐ります。
背筋がピンと伸びると、心もピンとまっすぐになります。
坐禅を続けていると心が自然にまっすぐな状態を維持しやすくなります。
意識しないでも、心が自然にまっすぐになってくるということ。
まっすぐというのは、偏りがないということ。
偏りがないというのは、ニュートラルということ。
ニュートラルということは、どの方向にぶれても元に戻りやすいということ。
結果的に、坐禅は人の感情や気持ちの揺れを少なくし、心を安定させてくれます。
坐禅は人の心に安楽をもたらします。
つまり、坐禅によって人は「心をおさめる」ことが出来るということ。
当山では毎週日曜日の朝、坐禅会を行っています。
一年の始まりに当たり、静かに坐って自己と向き合い「心をおさめる」ことに挑戦してみてはいかがでしょう?
住職記

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