無財の七施

 布施という言葉があります。
現在は法事などの際に檀家の方などから僧侶が頂くお包みのことを指すようになっていますが、本来は「広く施す」という意味でお金に限らず誰かに何かを施すことをいいます。
この本来の意味での布施において大切なことがあります。
それは、見返りを求めないということ。
布施の別名を喜捨(きしゃ)といいます。喜んで捨てると書きます。相手が誰であれ布施するお金や物へのとらわれを捨てて喜んで差し出すということ。
人の執着を離れた財物は清らかであり、執着を捨てるがゆえに施す側の人も清らかであり、清らかな物を受け取る側も清らかさに接することによって清らかになる。
与える側と与える物と与えられる側の全てが清らかになる行いが喜捨=布施です。
大切なのは、物に執着しないこと、見返りを求めないこと。
執着を捨て見返りを求めない布施は、その布施に関わる全ての人の心を綺麗にし、幸せにしてくれます。

ところで、この布施(喜捨)は、お金や物で無くてもすることが出来ます。
無財の七施と言って、行いの布施とも言えるもので、以下のようなものです。

無財の七施(むざいのしちせ)
 一、眼施(がんせ) 温かく優しい眼差しを施すこと
 二、和顔施(わがんせ)  笑顔で接すること
 三、言辞施(ごんじせ) 思いやりのある言葉
 四、身施(しんせ)  自分の身体を使い奉仕すること
 五、心施(しんせ)  心配り・気配り
 六、床座施(しょうざせ) 座席や場所を譲ること
 七、房舎施(ぼうしゃせ) 家や部屋を提供すること

いかがでしょう。
ただ微笑むだけでもそれが布施になり、自分も相手もみんなが幸せになれる。
大切なのは、「この人に微笑んでおけば後で何か良いことがあるんじゃないか」といった独りよがりの下心があっては、それは布施にはならず、みんなの幸せには繋がらないということです。
人は、支え合って生きています。
人は繋がりあった存在です。
周囲の人の幸せが、そのまま一人一人の幸せに繋がっています。
布施は、周りの人みなを幸せにする行い。
みなが幸せになるがゆえに、自分も幸せになる。
無財の七施、まず身近なところで始めてみてはいかがでしょう。
住職記

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