往ける者よ、往ける者よ

 「往(ゆ)ける者よ、往ける者よ、彼岸に往ける者よ、彼岸に全く往ける者よ、悟りよ、幸あれ。」
これは、般若心経の最後の部分、
「羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提娑婆訶」
を訳したものです。

 般若心経に限らずお経に使われている漢字はやたらと難しい字が多いですが、お経は随分昔に中国で作られた(翻訳された)ものが殆どなので、現代の日本の私達になじみが無い漢字が多いのは仕方がありません。
この般若心経の一節「羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提娑婆訶」も、見慣れない漢字が並んでいますが、元のインドの言葉の発音を翻訳当時の漢字で発音が似ているものを当てはめて(音写)作った言葉です。
曹洞宗では現在通常「ぎゃーてー ぎゃーてー はーらーぎゃーてー はらそーぎゃーてー ぼーじーそわか」と読んでいます。
お経の言葉の中には訳してしまうと元の意味から外れてしまうなどの理由で、あえて意味を訳さず音写をする場合がありました。
この「羯諦羯諦〜」もそんな音写された言葉の一つ。
あえて訳すと上記の「往ける者よ、往ける者よ、彼岸に往ける者よ、彼岸に全く往ける者よ、悟りよ、幸あれ。」と言うような意味になるそうです。
願いの言葉というか、祈りの言葉という雰囲気を感じます。
般若心経は、有名な色即是空という言葉に始まり仏教の空(くう)の思想を簡潔に述べた大変有名なお経ですが、最後の部分はこの「羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提娑婆訶」と言う言葉(呪文)がいかに素晴らしいかと賛嘆して終わっています。
理屈を述べ、最後に祈りの言葉を賛嘆して終わっている。
空の思想は非常に哲学的な思索の体系です。
しかしそれが、哲学にとどまらず仏教という宗教たり得ているのは上記のようにその中に祈りを含んでいるからなのではないか。そんな風に感じます。

心の中の強い願い・祈りは人にとって非常に大切なものだと思います。
難しい理屈も、祈りある人に運用されれば世の中の人を幸せにする大きな力となります。
季節はもう年の瀬、また今年もあっという間に過ぎてしまったという感想を持たれる方は多いでしょう。
日々は刻々と過ぎゆきます。
大きな願いを、祈りを持って生きたいものです。
住職記

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