尋牛

 禅宗には、悟りに到る修行の段階を十枚の絵と詩で表した十牛図(じゅうぎゅうず)というものが古くから伝えられています。
この十牛図の中では、修行者が求める真実の自己が”牛”として描かれています。
牛を探し始める尋牛(じんぎゅう)から始まり、最終的な悟りの段階である入鄽垂手(にってんすいしゅ)に到る十枚の図は、それぞれ牛に仮託された真実の自己を得、そして更にそこから進んでいく悟りへの各段階を表しています。
牛は、仏教の生まれたインドでは伝統的に聖獣であり、また中国では農耕に必要な身近な存在であり、茫洋としておとなしいようで暴れだすと扱いが大変なそんな性格も捉えどころのない”真実の自己”を表すのに適していたのかも知れません。
さて、十牛図が説いている”悟り”、仏教ではよく一口に”悟り”といいますが、それは一体どのようなことを悟るということなのでしょうか?
十牛図では牛つまり真実の自己を得るということ。
曹洞宗の宗祖道元禅師は、「仏道をならうというは自己をならうなり」と言っておられます。
また禅宗の依って立つところの坐禅は徹底して自己と向き合うという行為です。
キーワードは”自己”。
自己(自分)とは何か?と探し求める過程の中で人は何か大切なものを得ていき、いつか大きな意識の変容を体験する。
結局悟りは悟りという言葉以上にはなかなか説明出来ない個人的な体験ということになるのかも知れません。
私は個人的には、徹底した自己との対峙から世の中全体と直に感応し合うような心の状態(世の中全体との一体感があり心が安らぐ)に到ることが悟りなのかなと思っております。

世の中は今コロナウイルスの流行で相変わらず大変な状態です。
あまり周りの人々の言うことに振り回されて右往左往していると、普段でさえなかなかつかみきれない”自分”が糸の切れた凧のようにどこかに行ってしまいパニックに繋がってしまうかも知れません。
確実な情報を元に為すべきを為し、為さぬべきを為さぬよう気をつけていかなければと感じています。
年頭にあたり、コロナウィルス退散と世の中が平穏に戻りますことを切に祈念申し上げます。

住職記

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