しあわせは分けあうことで増えてゆく

 「しあわせは 分けあうことで 増えてゆく」
当山の書院に「鹿鳴」と書かれた額が掲げられています。
鹿は餌を見つけると鳴いて仲間の鹿に知らせて共に食べるのだそうで、分かち合いを意味して書かれたものだと先代住職から聞いています。
考えてみれば自然界では分かち合いは当たり前のこと。
厳しい自然界では分かち合わなければ生きてゆくことが出来ません。
私達人間は、その自然界の一員であるにもかかわらず、欲望につられてつい人や物やお金を独占しようとします。
そしてその事によって多くの不幸を生んでしまう。
ある意味動物より劣っていると言うことも出来ます。
私達日本人が狩猟採集で食物を確保していた縄文時代は約1万年続きました。
おそらく分かち合いは当たり前のことだったでしょう。
最近この縄文時代の生活が従来考えられていたものより多様で豊かで安定しており、一箇所に定住して生活する人々もかなりいたらしいことが分かってきています。
自然に働きかけて自ら食物(米など)を作り出そうとせず、自然の恵みをそのまま頂きその恵みの範囲内で仲間と分け合って暮らしていた縄文時代。
他人と競争し絶えず頑張っていないと収入が無くなって暮らしていけなくなる現代の私達の生活と比べると、何かゆったりしていてうらやましいようにも感じます。
勿論、安定しているということは逆に言うと進歩はないわけで縄文の人々の生活は10年1日と言うか100年1日と言うか、かなり変化の無い生活であったのだろうと想像します。
弥生時代以降の農耕社会になって大規模な社会が生まれ、権力が生まれ、技術が生まれ、様々な進歩があって今の私達の生活に続いている訳ですが、この今の社会は自由経済の原則による競争社会であり負け組は社会の底辺でつらい生活を強いられます。
つい縄文時代の進歩もないけれど競争もない社会の方がみんながゆったり暮らせて良かったのではと思ってしまいます。
しかし、では竪穴式住居に住んで毎日毎日ドングリを拾って獣や魚を捕り平均寿命30才の人生を生きるのが良いのかと考えるとやはり今の生活の方が良いのかなとも思え、簡単ではないですが、でもやはり今の日本ひいては世界の社会の様子を考えると、そろそろ競争はいい加減にした方が良いのではと感じます。
競争も人類の進歩には必要です。
しかし、人間が動物だった頃からの原初の我々の特性である”分け合う”という資質にもっと着目し大切にするべきではないでしょうか。
現代の社会の競争は勝ち組はどこまでも勝ち、負け組はどこまでも負け続けるという酷い状況になってきています。
競争はほどほどにし、分け合いを心がけ大切にする社会にして行かないとあまりに世の中に不幸ばかりが増えてしまうように思います。
 「しあわせは 分けあうことで 増えてゆく」
共に生きているという感覚を大切にして、分かち合いを心掛けて生活していきたいものです。
住職記

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