申
もともと、干支の漢字とその動物名は覚えやすいように昔の人が無理矢理当てはめてしまったもののようで、「申」も動物の猿とは漢字として全く関係が無いようです。
漢和辞典で調べてみましたら、「申」の原義は電光(イナヅマ)を表すものだったようです。そしてそれが「〜を申す」というように使われるようになったとのこと。
「申」に示偏を附けると神という字になりますが、天が電光によってもの申す(示す)→「神」という漢字が造られてくる流れを感じることが出来ます。
さて、今月の言葉として書かせて頂いた、「申す」べきは申す。ですが、これはたまたま申年なので書いたものではあるのですが、実際常々思っていることでもあります。
我が国は島国という地理的な事情もあり、あまり他者と意見を戦わせてお互いを理解し合うということをしません。狭い国であるが故あまり他者と衝突したくないということが先ず一点。異文化が入ってくるということが基本的にないため、そもそもコミュニケーションがあまりなくても、相互理解が成立してしまうということが一点。
結果、沈黙は金なりという価値観が醸成されてきたのだと思います。
しかし、今は国際化の時代。日本はもう昔の日本ではありません。
たまに東京に行くとあまりの外国人の多さに圧倒されます。
欧米の人々、アジアの人々、その他の地域の人々、沢山の国と地域の人々が日本にやってきて、日本で働き、日本で生活をするようになってきています。
国際社会の標準的考え方は、みんなで意見を出し合って、それぞれの利害をすりあわせて、ルールを決めていくというもの。沈黙していたら割を食ってしまいます。
言うべきことは言う。「申す」べきは申す。そろそろ私達日本人も他者に自分の考えをきちんと伝えられるよう、自分の中の意識を変えていかなければいけないのではと、そんな風に考えています。
そして、筋道を立てて相手に分かりやすく話すということは普段から意識して訓練していないとなかなか出来ないものです。
ですから、もう「沈黙は金なり」という言葉はお蔵入りにして、言葉をきちんと選んで話すということを日常の中で個人個人が大切にしていかなければと思います。
あまり仏教とは関係のない話になってしまいましたが、現状をきちんと捉えそれに応じた行動をするということは、あながち禅と無関係というわけでもないと思います。
新年にあたり皆様のご健康とご多幸をお祈り申し上げます。
住職記
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