お盆の心

 最近、夏が来ると多くの人がそうだと思いますが、熱中症にならないように気をつけるようになりました。
当寺のある群馬県はかつての日本最高気温を記録した館林市を擁する県。
夏の盛りには、ちょっと暑いなと思うと普通に体温以上の気温になっています。
湿度が低ければもう少し過ごしやすいのでしょうが、日本の夏は湿度が高いのが当たり前、むしむしした空気の中、上から太陽がこれでもかと照りつけて来ると、何かスチームつきのレンジの中で照り焼きにでもされているような気分になって来ます。
そんな暑い夏の盛りに昔と変わらずお盆は毎年やって来ます。
お盆の他の夏の定番の行事というと、夏休み、お祭り、花火大会、海や山へのレジャー、などなど。みな楽しい活気のある行事です。
そのなかでお盆だけは死者にまつわる行事。なんとなく夏にそぐわないのでは?と言う気もします。
でもお盆はやはり暑いですが夏に行われるのが良いように思います。
夏は活動の季節。生命の季節です。
草木は太陽の光を浴びてグングンと成長し、蝉は交尾の相手を求めて盛んに鳴き、様々な虫達が活発に活動します。
私達人間も草木や虫達と同じく命を持った存在。
生まれ、育ち、活動し、やがて死ぬ存在です。
夏はその命が一番輝く季節です。
その命が輝く季節に、かつて命を輝かせた人々を思い出し、その魂に自らの魂を添わせ、自分達の命のこれまでとこれからに思いを致すというのは大切なことのように思います。
かつて沖縄を訪れた際、エイサーという沖縄の盆踊りを見たことがあります。
本土の盆踊りとは全く異なり、太鼓を打ち鳴らしながら若者達が勇壮に舞い踊る南国のパワーを感じさせる踊りでした。
今は亡き同じ土地に生きた人々の魂へ向けて、今を生きる若者達が力一杯舞い踊る命の鼓舞であるように感じました。

法事や葬儀が簡素化し、人の死を身近に感じることが少なくなっている今の世の中ですが、それでもお盆という習慣はまだ広く日本の社会に根強く残っています。
活動し輝くときが有るということは、季節に冬があるように、静かに死を迎えるときも来ると言うこと。
お盆は四日間という短い期間ですが、家族とともに、命の輝きの中で静かに死を見つめて頂きたいと思います。
住職記

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