一切皆苦

 一切皆苦と言う言葉は、仏教の大切なキーワードです。
お釈迦様が悟られた内容を表す言葉に、諸行無常・諸法無我・涅槃寂静の三つの言葉からなる三法印がありますが、これに一切皆苦を加えて四法印として仏教の基本的な考えとする場合もあります。
一切皆苦という言葉は、それだけ重要な言葉だということ。
一切皆苦とは、読んで字の如くこの世の一切は苦であると言う意味です。
最初この言葉を知ったとき、なんてネガティブな考え方なんだろう、と思いました。
一切が苦であるというのでは、何をやっても辛いことばかりで救いがないように感じます。
しかし実際にはそれほど単純な言葉ではありません。
一切皆苦の「苦」は、本来のインドの言葉では「思い通りにならない」という意味を併せ持っていて、 単に苦しいということではなく、思い通りにならないがゆえに生じる苦しさを意味しています。

人は現実の中で快不快を感じながら生きています。
そして、快を多くし、不快を少なくするように、つまり嫌なことを減らし好ましいことを多くするように日々活動しています。
しかしながら現実の世界は人間の快不快の感覚とは関係なく変化し流れていきます。
人間が快と感じる方向へ現実を変化させることはある程度はできますが、ある程度であって全て思い通りにはなりません。
結局人は、快不快を感じながら、一喜一憂しながら日々を送っています。
この状況を、つまり出来れば意のままにしたいのだけれど、本質的に人間の意のままにならない(思い通りにならない)この現実を仏教では一切皆苦と表現するわけです。

老いたくないが老いる。
病気になりたくないが病気になる。
死にたくないが死ぬ。
老病死。
思い通りにならない現実の代表です。
この思い通りにならない現実に対し、目をそらすのではなく、部分的に思い通りになった現実のみ見るのでもなく、思い通りにならない現実を思い通りにならない現実として正確にそのまま受けとめなさいと言うのが仏教の考え方です。
知は力なりと言います。
あたかも鳥が空から地上を眺めるように、現実と人間の関係性を偏りのない眼で見、正確に了解し得た時、現実の中にあって現実に翻弄されながら現実を越え出ることが出来る。
一切皆苦という認識の先にはそのような広く平らかな仏の智慧の世界が広がっています。
住職記

今月の言葉に戻る