沙羅双樹の花の色

 今年の大河ドラマはあの有名な源氏物語の作者紫式部が主人公。
大河ドラマというと戦記物の題材が多いように思いますが、今年はちょっと趣向を変えて平安時代の貴族社会のお話しです。
このお話しは、もう一人の主人公とも言うべき藤原道長が朝廷で力を得て文字通り一世を風靡していくところに紫式部がからんでお話しが進んでいくようです。
史実でも藤原道長は平安時代の有名人であり大変な権力を持って藤原氏隆盛の一時代を築いた人物。藤原氏の栄華は道長で頂点に達し道長没後次第に衰えていきました。
歴史ではその後に現れて来たのが武士の一族である平家。
そしてその平家も時の流れと共に衰え、壇ノ浦にその命運が尽きます。
この平家の興亡の物語が平家物語であり冒頭部分は教科書にも出てきますが以下のようなものです。

「祇園精舎の鐘の聲、諸行無常の響あり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。驕れる人も久しからず、唯春の夜の夢の如し。猛き者もつひには滅びぬ、偏に風の前の塵に同じ。」 −−平家物語より−−

栄えたものは必ず衰え、力が強いものもいつかは滅びる。諸行無常のこの世の理が哀愁と共に語られています。
今回取り上げた「沙羅双樹の花の色」という言葉は平家物語のこの冒頭が出典です。
お釈迦様が亡くなられた時、近くに立っていた沙羅双樹(さらそうじゅ)の木が枯れて白い花びらを散らせたと伝えられており、そこから命あるもののいつかは滅びる儚い運命を表すときにこの「沙羅双樹の花の色」が使われるようになりました。
ちなみに、沙羅双樹とは対になった沙羅の木という意味で、お釈迦様が亡くなられた場所に二本(八本という説もあります)立っていたので沙羅双樹と言われるようになったとのこと。
沙羅の木は日本では自然の環境では育たないらしく代用として夏椿が沙羅の木(沙羅双樹)としてお寺の境内等に植えられています。
本来のインドの沙羅の木は常緑で大きくなると樹高30メートルにもなる木で黄色い花を咲かせるのだそうですが、その黄色い花が白色に変じてはらはらと亡くなった釈尊の身体の上に舞い散ったというのが古来の伝承です。
親しい人が亡くなるというのは本当に悲しいものです。
人の命はいつか終わりが来ることは頭では分かっているものの、いざその時が来ると頭の中が真っ白になり目に映る周りの景色から色が抜け落ちて白黒の世界になってしまうような感覚を経験することがあります。
世の中が色褪せて見えるというような言い方もされますが、大きなショックやストレスを受けた時に人にはそのように世界が見えてしまうことがあるようです。
釈尊入滅の時に側にいた弟子達も世が無常であり生者必滅であることは仏弟子であれば良く分かっていたと思いますが、それでも師である釈尊がいざ亡くなってしまうと大変な悲しみに包まれ、そのことを表すために花の色が白くなって舞い散ったという表現になったのではないかと思います。
諸行無常の傍らには常に人の悲しみがあります。
それは釈尊の時代も今も何も変わりはありません。
その悲しみにどう寄り添うかというのが仏の道を歩むものには大切なのだと感じます。

今年元日の能登半島の大地震と津波というまさに諸行無常の極みと言える大きな災害でたくさんの人が亡くなり今も苦しんでいる人達がいます。
住んでいる所が離れていると、日が経つにつれ報道も少なくなり次第に被害の切実感が消えて行ってしまいますが、現地の苦しみは変わらずにあると思います。
被災していない私達も人それぞれに生活がありますし離れていると出来ることは限られていますが、自分に出来ることを見つけて、機会を見つけて被災された人のためになることを少しでもしてあげられたらと思っています。
住職記

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