一切は心より転ず

 仏教は人の心について、その成り立ちや動きを深く内省し、非常に複雑な哲学的な思想体系を作り出しました。
そういった思想体系のうちの大変重要なものとして華厳経(華厳思想)があります。
今回取り上げた「一切は心より転ず」という言葉は、この華厳経の中に出てくる有名な言葉です。
どういう意味かというと、この世の全ては人の心が作り出しているということ。
今自分が座っている椅子や机やパソコンや目の前にいる人も家も何もかもおよそ人間が住んでいる世界の全てが或いは世界そのものが、全て人の心が五感から入ってくる情報をもとに心の中に作り出している幻のようなものだと言うことです。
この考え方を唯識(ゆいしき)と言います。
ただ識が在るのみということ。
実在するものは何もなく、人の心が勝手に自分の中に自分の都合で自分の周りの世界を作り上げその中で考えたり悩んだり悲しんだり喜んだりしていると言う考え方です。
ちょっと突拍子もない考えのようにも感じますが、この唯識という思想は確かに仏教思想の基盤の一部です。
ある意味、究極的に空しい世界観と言うこともできますが、しかし、この世界が実は存在していなくて自分の頭の中にだけ存在する幻にすぎないということは、ある意味考えよう気の持ちようで世界そのものをがらっと変えてしまうことができると言うこと。
世界は自分の気持ち次第でどのようにでも再構成して作り直すことができると考えると、なんだか自分が世の中全ての主人公になったような気分になります。
もちろん実際には、生身でビルを飛び越えることはできませんし、飛んできた弾丸を手のひらを上げて止めることもできません。
でも、自分の持っている悩みや苦しみを一つ高い次元から見て、これもいつか幻のように消えてしまう自分の心の中だけの一人相撲かと思うと、なにかちょっとさっぱりしたような気分になり、今日の夕飯何にしようかな?といった現実的な前向きの気持ちになれるような気がいたします。

「一切は心より転ず」
心とは自分の心ということ。
この世界の主人公は誰あろう自分自身。
自分の死と共にこの世界が消えてしまうまで、この世界を大切に生きていきたいと感じます。

住職記

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