あるべきようは

 今回取り上げた「あるべきようは」という言葉は、鎌倉時代の華厳宗の名僧明恵(みょうえ)上人の言葉です。
この明恵上人、華厳経の教理や密教に通じ、また臨済宗の祖である栄西禅師の元で修行もされて禅にも通じた大変な高僧だったのですが、たくさんのユニークな逸話のある方です。
例えば、若い頃仏道に精進するために人間の形を離れて釈尊に近づこうと、仏像の前で片耳を自ら切り落としています。
異常と言えば異常な行動ですが、仏を求める心がそれだけ強烈だったということなのだと思います。
また、旅先から普段礼拝している仏像に「いかがお過ごしでしょうか?」というような内容の手紙を出したり、自分がかつて修行していた島に宛てて思慕の情を綴った手紙を出したりしています。非常に変わっていますが、子犬の木像を大切に持っていたりもしたそうで大変愛情の深く細やかな人だったのだろうなと感じます。
僧侶としては釈尊在世の頃のように戒律を守り僧としてあるべきようにまっすぐに生きた方でした。
同時代の僧侶に法然上人がいます。
明恵上人は法然上人の専修念仏を今の人生を放っておいて後生(ゴショウ:死んだ後の世界)の幸せばかり願うなどどんな経典にも書かれていない。全く釈尊の示された道から外れていると強く非難しています。
当世風に言えば仏教原理主義者とも言える明恵上人にしてみれば時代の流れの中で出てきた新しい仏教は到底受け入れられるものではなかったということなのでしょう。
ともあれ、明恵上人という人は自らの信じた道をひたすらに歩き貫いた人でした。
その明恵上人が弟子達に遺した言葉が「あるべきようは」という言葉。
人としてどのようにあるべきか?
僧としてどのようにあるべきか?
それぞれのあるべきよう、つまり大切な原理原則あるいは理想の姿を持つべきであるということ。
自分自身の「あるべきようは」に続く大切な何かを人は持っていなければならないというのが明恵上人の思いだったのだと思います。

今は盛んに価値観の多様化、ダイバシティ(多様性)を大切にということが言われます。
ですので当世風には法然さんの専修念仏も明恵さんの原理主義的仏教も両方ありじゃないですか仲良くやりましょうよということになるのだろうと思います。
ですが、いつもあっちもOKこっちもOKとやっていると自分の立ち位置があやふやになり、自分の考え自体もあやふやなものになってきてしまうのではと感じます。
自分の立ち位置を原理原則をごまかさずにはっきりさせて、その上で他はどうか自分はどうかと考えたり判断したりするべきなのだと思います。
情報があふれる中でゆるゆるになってしまっている私達の心に800年前に僧として熱くまっすぐに生きた明恵上人の「あるべきようは」という言葉、心の土台の部分まで深く刺さってくる気が致します。
住職記

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