盗人に 取り残されし 窓の月

 最近月の話題が新聞やテレビで取り上げられることが多くなりました。
ここ数年多くの国や民間の企業が月に探査機を送っていて、アメリカや中国ではいずれは観測や資源探査のために月に基地を作ることも考えられているようです。
日本も今年初めに小型の探査機を月に無事着陸させてメディアで連日取り上げられていました。
私も子供の頃から宇宙の話題は好きなのでこの探査機がピンポイントで月面着陸を成功させた時は連日テレビやネットで見ていました。
現代では月というとこのように現実的な科学や研究の対象としての存在という印象が強くなっています。しかし月は千年も二千年も前から何も変わらず満ち欠けを繰り返しながら夜空に浮かび、私達人類に様々な思いを抱かせてきました。
雪月花と言われるように日本では古来月は美しい自然の景色の代表です。
少し寒くも感じる秋の夜、澄んだ空気の中に浮かぶ透き通ったような姿の月を見上げると本当に綺麗だなと感じます。

さて今回取り上げたのは『盗人に 取り残されし 窓の月』という月を題材にした俳句。
この句の作者は、江戸時代の有名な禅僧良寛さんです。
意味は読んだままそのままの意味なのですが、詠まれたときのエピソードが伝わっていますので以下に紹介します。
……ある夜、ほとんど何も持っていない良寛さんの草庵に泥棒が忍び込んできました。良寛さんは寝ていたのですが物音に目を覚ましました。
男が忍び込んできて物色しています。でも米壺は空っぽ、頭陀袋の中には手鞠とおはじきと手拭いだけ、お金など目ぼしい物はなにもありません。
かわいそうに思った良寛さんはわざと寝返りを打って布団から転げ出ました。
泥棒はその布団を小脇に抱えてぬき足さし足で帰っていきました。
泥棒が出て行った後、良寛さんが窓から外を眺めると、ただ盗り忘れられた月だけが明るく輝いていたのでした……
というお話しで、その情景を詠んだのがこの俳句です。
多分実際にあったことを良寛さんが誰かに話したか書き留めておいたかして今に伝わっているのでしょう。
なんとも大らかで人を憎むことを知らない子供のままの感性の良寛さんでなければあり得ないお話しです。
良寛さんは五合庵という小さな庵に一人で住んでいました。生活にどうしても必要な物以外本当に何もない生活をしていたようで、まさにシンプルライフそのもの。
シンプルな部屋からさらに布団が取り去られた簡素な情景、そこに窓に切り取られて輝く月、物の面でも心の面でもシンプルな良寛さんのたたずまいを際立って美しく感じさせてくれます。
あまりにもたくさんの物やしがらみの中で私達は生きています。
執着を離れよと仏教は説きます。
捨てて捨てて捨ててシンプルに生きてみたいなとしみじみと感じさせてくれる良寛さんの俳句だと思います。
住職記

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