冬草も見えぬ雪野のしらさぎは
道元禅師はたくさんの和歌を遺しておられます。
今回取り上げたのは道元禅師の和歌集である『傘松道詠』より歌題《礼拝》として収録されている、
冬草も 見えぬ雪野の しらさぎは
おのが姿に 身をかくしけり
という歌。
冬草もすっぽり雪に覆われた雪野の中にいる白鷺の姿は、まるで自分の姿の中に自分を隠してしまったかのようであるという意です。
雪野の中の白鷺のように、己を無にして相手の側に己のすべてを投げ入れて、相手と一つになったとき、それが本当の礼拝である。ということ。
礼拝は雪野の中の白鷺のようにあるべきという意味で歌題《礼拝》です。
禅の心は「一」なるものを求めます。
この世の全ては「一」である。人の心は全てのものの中にすぐに違いを見い出すけれども、本来は全てのものが「一」に帰一するというのが禅の心です。
「一」の象徴が仏であり、人は仏に礼拝して仏と合一し自らもまた仏となります。
そのように考え、そのように感じ、そのように行動するのが禅ということ。
私は雪が大好きです。
雪は、全てを覆い隠し汚れのない純白の姿に変えます。
冷たいけれども、全てに対して分け隔てがありません。
全てを己が内に包み込み、透徹した清らかさ美しさがあります。
禅の道もまた厳しいものですが、雪と同じように誰にも平等な澄んだ安らぎの心へと続いているように感じます。
季節はこれから冬本番。
寒さは、人の心を研ぎ澄ましてくれます。
歳晩に当たり忙しい中にも自らの一年を振り返り、新たな年を迎える心の準備をして頂けたらと思います。
どうぞよいお年をお迎えください。
住職合掌
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