達磨さん

 今月5日は、達磨忌といって、達磨大師のご命日の法要を営む日です。
達磨は9年間ずっと坐禅をして座り続けたと言われる、禅宗の祖といわれる人です。
もとは西域の国の王子であったと伝えられますが、色々と謎の多い方です。
禅の修行は、非常に意志の強さを必要とします。
達磨の弟子となった慧可という人は、弟子になる際、なかなか達磨が入門を許可しないので、自らの決心を示すため、自分の左腕を切断して達磨に示し、やっと許可を得たと言われます。
真偽の程はともあれ、そのくらいの意志の強さを時に禅の修行は要求するということを示す話として、このエピソードはよく取り上げられます。

 変わりやすいもののたとえとして、「女心と秋の空」なんて事を申しますが、女性に限らず、人の心は実際秋の空のように変わりやすいものです。
昨日はこうと心に決めていても、今日は人の意見を聞いて心が揺れ、明日はまるで反対のことを考えているかも知れません。
禅はそんな揺れ動く人の心を、全く動かない一つの形の中にはめ込み続ける修行です。
修行を続けていると、次第に禅の形に心もなじんできて、安定して来ます。
しかし、時にはやはり形からはずれ挫けてしまうこともあります。
人間ですから仕方ありません。
はずれたら直し、またはずれたらまた直す。この繰り返しが禅の道です。

達磨さんだって、9年間の坐禅を経て人々に禅の真髄を伝えるまで、色々な挫折や苦難を乗り越えてきています。
達磨大師は苦難を乗り越えて禅宗の祖となりました。
自分が確かに価値あるものと信じたことは、挫けても、あきらめず、再び挑戦する。
何度でも挑戦する。
誰がなんと言ってもあきらめない。
あきらめず、前に進む気持ちがある限り、人はいつか必ず目標に到達します。
達磨さんのまあるい身体と目は、がんばれよ、あきらめるなよ、転んでも起きあがれよと私達を励ましてくれています。

住職合掌

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