不殺生戒

 仏教徒の守るべき十重禁戒という十項目からなる戒(戒め)があります。
〜をしてはいけない。という形での禁止事項です。
その第1番目がこの不殺生戒。
人間はもちろんのこと「生き物を殺してはいけない」ということです。
動物も人間と同じように、命を頂いて生きている生き物です。
その生き物としての同胞を殺してはいけないというのは、当然といえば当然なよく分かる戒めです。
生き物にとって何が一番大切か?
それは当然、命。
その一番大切なものを、他から奪ってはならない。
慈悲を説く仏教においては誠に大切な戒めといえるでしょう。

しかし、この不殺生戒を守ることは実は大変難しいことです。
まず基本的に肉は食べられません。
蚊も殺せません。
歩く時は、蟻や小さな虫を殺さないよう気をつけて歩かなければなりません。

守りきるのは困難です。
釈尊在世の頃であっても、守るのが非常に難しい戒であったことと思います。
おそらく十ある戒めの中で、守るのが一番難しいのはこの不殺生戒ではないでしょうか。

なぜそんなに守るのが難しいのか?
それは、私達の存在がそもそも他の生命の力を奪って生きているのが本来のあり方だからです。
動物の世界では、弱肉強食は当たり前。
もっと広く見れば、生き物の世界は食物連鎖で成り立っています。
私達の身体も、他の生き物の力(栄養)を頂くことによって生きています。

私達の身体は、他の生命を食べる(殺す)ことを前提に出来ているのです。
さらに、人間の身体に備わっている免疫機能は体内に入ってきた有害な細菌やウイルスを殺して、身体を健康に保とうと常に働いています。
つまり、生きている限り殺生をし続けているのが、私達の肉体なのです。

というわけで、肉体はついつい殺生をしてしまい、心はそれをしまいとする。
このせめぎ合いの中に不殺生戒はあります。
なんだか不自然ではないか。
そんな風にも思えます。
しかし、強い命に取り込まれて消えてゆく小さな命のことを思いやり、共感出来る心は人間に備わった尊い特性です。
この尊い特性 ― つまり慈悲心と言ってもいいと思いますが ― を忘れずに持ち続けることが出来るように、この大変な戒め「不殺生戒」があるのだと思います。
ようするに、他の命への思いやりの心を忘れるなということでしょうか。

現代においてこの不殺生戒は、守りきれる訳が無いのだからと、なおざりにすることなく、他の生命を犠牲にして成り立っている私達のこの命をしっかり見つめ、私達の命が存在するが故に時々刻々と消えていっている他の無数の命への感謝の気持ちを確認するために常に心に刻み込んでおくべきものだと思います。

そろそろ、蝉の声も次第に消えてゆく季節。
蝉は一夏だけの命を、精一杯に生きています。
そして命つき、地に落ちて、他の虫たちのエサとなり、形を変えて命は続いてゆきます。
私達も、いずれ死に、土となり、水となり、風となって自然に戻ってゆきます。
そしてまた、命を形作る一部として世の中をめぐってゆくことでしょう。
命はめぐります。
蝉の命も人間の命も、自然という同じ大きな命の一部です。
小さくとも大きくとも同じ命、ともに大切にしたいものです。

住職合掌

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