色即是空

 仏教のお経の言葉の中で、この「色即是空」という言葉ほど有名な言葉は無いかも知れません。
この言葉は、般若心経の中に出てきます。
色とは、この世の中の存在全て。
空とは、実体がないということ。
つまり、色即是空は、この世に存在するもの全ては、実体がない。という意味。
仏教の無常(無我)観を説いています。

死すべき運命にあり、病いや老いや様々な苦しみを抱えながら生きている人間には、漂流者が島を探すように、何か変わらず、動かずに自分の支えになってくれるものを求めるものです。
でも、お釈迦様はそんなものは、この世には無いんだよと諭されました。
この世の中にあるものは全て、時間と共に移り変わり、その姿を変えて行く。
変わらぬものなど何もない。
全ては縁によって生じ、縁によって変化し、縁によって滅して行く。
それがこの世の逃げようのない真実なのだと。
つまり、無常ということ。

でも、実際の所、これだけだとなんとなく暗いというか、寂しいだけって言う感じがしませんか?
じつは、色即是空という無常を表す言葉は本来次の一句と対になることで完成します(と私は思います)。
次の一句とは、さて何か?
空即是色 という言葉です。
なに、同じじゃないか、と思われるかも知れませんが、よく見てください。
色と空が逆になっています。
だからなに?
色と空が逆になると何が変わるのか?
じつは、変わるのではなく、同じになるのです。
つまり、色即是空 空即是色という対句は、色はすなわち空であり、空はすなわち色である。という意味になり、これは結局空と色はイコール、全く同じということ。
横から見れば四角の茶筒を上から見れば丸く見えるのと同じく、同じことの違う側面、空と色もそんな関係だということです。
つまり、この世 = 無常
    無常 = この世
両者は同じということ。
無常という言葉は、この世の性質の一つを説明する言葉ではなく、この世を完全に説明し尽くす言葉だということ。
私達は、近しい人の突然の死に会うと無常を感じます。
しかし、無常とはそれだけではありません。
赤ちゃんが生まれるのも無常であり。
誕生や成長も無常(常ならず)の一つの姿です。
普通、悲しい時だけに無常という言葉は使われますが、本当はうれしい時もおめでたい時もやはり無常なのです。
ついでに言えば、うれしくも悲しくもなんでもない時も、私達が寝ている時も、やはり世界は無常です。
無常だからこそ、寝た人が寝たままにならずに自然に目が覚めるわけです。
そう考えてくると、無常という言葉も、ひるがえって色即是空という言葉も、なんとなく寂しいネガティブな印象が、だいぶ変わってくるのではないでしょうか。
今、つまらないなと思っている人生も、この世が無常であればこそ、予想外の楽しい展開もあるかも知れません。
無常は、陰も陽も全てを内包しているのです。
そんな無常という言葉の本当の意味を教えてくれるのが、色即是空 空即是色という言葉なのだと思います。
住職合掌

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