一陽来復

♪人生楽ありゃ苦もあるさ♪
黄門様の歌にもあるように、人の世は楽だけとか、苦だけということはありません。
楽の影には苦が潜み。
苦の後には楽が待っている。
苦があるからこそ楽があり、楽があるからこそ苦があります。

 仏教には、命あるものは全て「地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上」の6つの世界を輪廻転生するという考え方があります。
あまり楽しくなさそうな字が並んでいますが、これは並んでいる最初の世界の方が苦が多く、後の方に行けばいくほど楽が多い順番になっているようです。
つまり「地獄」は苦ばかり、「天上」は楽ばかりの世界ということ。
生あるものは、すべてこの苦と楽が交錯する六つの世界を生まれ変わり死に変わりしているというのが輪廻の思想です。
さて、では仏教の求める仏の世界はどこにあるのでしょうか?
「天上」がそうかと思えますが、違います。
楽しいだけなんて、それ以上の世界があるのかと思いますが、しかし、「天上」の楽しさは他の世界の苦しさを前提に成り立っています。
そして「天上」に生を受けたものにもやはり寿命があり、いずれ他の世界に輪廻していく運命にあります。
そういう意味で「天上」といえども完全に楽ばかりというわけではないのです。
仏の世界は、実はこの6つの世界を抜け出たところにあります。
仏教では、6つの世界は全て迷いの世界です。
苦と楽に捕らわれているという意味で迷いの世界ということ。
仏教が求めるのは、この苦と楽を超えるということです。
苦と楽を、自らの身と心で逃げることなく完全に受け止め、苦にも楽にも惑わされることが無くなる時、そこに仏の世界が現れてくる…ということです。
言うのは簡単ですが、とうてい、普通の人間には及ばない世界のようではあります。
しかし、及ばないかも知れませんが、近づいて行くことは出来るのです。

苦のまっただ中にいる時、あるいは楽のまっただ中にいる時、人はつい苦楽のもう一方が存在することを忘れてしまうことがあります。
苦しい時は、苦しさばかりで頭がいっぱいになり、つい失敗が増えていき、結果、苦が苦を呼んでしまうという悪循環に陥りがちです。
楽しさにおぼれ人生の道を踏み外してしまう、というような事もあります。
苦も楽もあまり深追いしないこと。
苦も楽も所詮は人間の主観であり、時と共に流れゆくものです。
ですから、
苦にあったら苦を受け、
楽にあったら楽を受け取る。
そんな自然体の広い心のスタンス…これが、苦楽の中にあって苦楽を超える仏の心に通じているように思います。

3月は異動の季節。
卒業や退職等、人生の節目の季節です。
「人生楽ありゃ苦もあるさ」というごまかしようのない人生の真実をがっちり心の土台に組み込んで、次なる人生のステージに臨んでまいりましょう。
住職合掌

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