同事というは不違なり

 この所、外国で大きな自然災害が続いています。
ミャンマーでサイクロンによる水害があり。
程なくして今度は中国で大地震がありました。
どちらもテレビで大きく報道されていますが、あの惨状を見ると、誰しも何とか助けてあげたいと感じるのではないかと思います。
思いやりの心は誰の心の中にもあります。
困っている人を見れば助けてあげたいと思うのは、程度の差はあっても、人間が生まれつき持っている性質なのでしょう。
人間という字のごとく、人と人の間に生まれ、生まれてから十数年間は他者によって養育されなければ生き続けることも出来ない我々人間は、もともと他者との密着度の高い社会的な動物であり、本能的に他者に共感する能力を持って生まれてくるのだと思います。
四川の大地震で日本からも災害救助隊が現地に行きました。
がれきの下に閉じこめられている人を何とか助けようとろくに眠らず休まず救助活動に当たる救助隊員達。
疲れ切っていても救助や捜索を続ける彼らの心を鼓舞するのは、家族を必死に捜す現地の人々の姿、そして瓦礫の下にもし生きている人がいれば、その人がどんな思いで助けを待っているか…という思いであったことでしょう。
政治体制や言葉や習慣が違っても、こういった非常事態に現れる人間の素の姿というのはどこでも同じであり、同じように人の心を動かします。

「同事」とは、相手の立場に立ち自他の区別を超えて他を利する心の姿を言いますが、今回中国の現地で必死に活動していた災害救助隊の人々の心は巧まずしてこの同事そのものであったと言えるでしょう。

生老病死の道を等しく歩む同胞であるという点において、国を超え人種を越え人は皆同じです。
生老病死に起因する喜びや悲しみもまた同じです。
違いはありません。
自と他が同じであるという意味で「同事」
自と他に違うところはないという意味で「不違」
命あるものはすべて、本来一つである地球に生まれた命の一部です。
同じ命を授かった同胞として、人間同士はもとより、全ての命あるものに思いを致し、自分の命と同じく他の全ての命も大切にしたいものです。
住職合掌

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