「生死事大 無常迅速 各宜醒覚 慎勿放逸」

 これは、禅寺で食事の時等の合図として使われる木版(もっぱん:木槌で打ち鳴らして使います)という木の板に書かれている「無常迅速の偈」といわれる言葉です。

 意味は…
人間にとって、生死(しょうじ)は誠に大切なこと。
人の心は様々なものにとらわれていても、時の流れはいつも同じように速やかに流れ去って行く。
おのおの、しっかりとこの現実を見つめ。
無駄に時を過ごしてしまわないよう気をつけるように。
 …ということ。

修行道場として多くの人が生活を共にしている禅寺では、食事や坐禅や様々な行事の時を知らせるために多くの鳴らし物(太鼓や鐘などの音の出る道具)を用います。
代表的な物としては、主に時刻を知らせるために使われる梵鐘があります。
いわゆる「お寺の鐘」です。
除夜の鐘を撞くのもこの梵鐘です。
梵鐘の音は大きな余韻のある低い音でしみじみとした情感がありますが、一方、この「無常迅速の偈」が書かれた木版(もっぱん)はパーンパーンというインパクトのある高く響く音で修行僧達に日々の食事や行事の時を知らせます。
パーンパーンという耳に響く音と共に「時の過ぎゆくのは速い、しっかりと修行せよ」と修行僧達に注意を促しているというわけです。

今年−平成20年ももうすぐ終わり。
人間、年をとるごとに一年の過ぎゆくのが速く感じられます。
自分に残された人生の残り時間はどの位なのか?
平均的に人生80年と考えて、私の場合は大雑把に言って残り40年。
つまり、私がこれから迎えることの出来る年の瀬はあと40回ということ。
あるいはもっとあるかもしれませんが、病気や事故で逆に少ない可能性もあります。
不治の病にかかると、人は自分の残り時間を思い知らされます。
しかし、人がいつか死にゆく運命である以上、病気であっても健康であっても残り時間が刻一刻と減ってゆくことに変わりありません。
”光陰は矢よりも速やかなり”とお経には出てまいります。
のんびり構えているとあっという間に人生終わってしまいます。
日々を疎かにせず、今与えられている命を大切に生きたいものです。
住職合掌

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