故郷(ふるさと)

 ♪うさぎ追いしかの山、小ぶな釣りしかの川♪
最近は、卒業式でこの歌は歌われているのでしょうか?
寡聞にして知りませんが、もし今の子供達が歌っているとしても、歌詞と現実があまりに違っていて多分実感がわかないだろうと思います。
私自身にしても、川は近くにあったので魚釣りにはよく行きましたが、うさぎを追えるほどの山は近くにはありませんでした。
でも、全体としてなんとなく想像の範囲内の歌詞の内容で、歌っていてとなんとなく胸がジーンとなったのを憶えています。

今の子供達は、塾に習い事に大忙し、少し時間があると携帯型ゲーム機やテレビ、テレビゲーム。
もっと外で遊んだらどうかとも思いますが、そもそも少子化で周りに子供がいませんから一人で遊ぶわけにもいかず、また危険な事件も起こったりしていますので、親も仕方なしに状況を追認しているケースが多いと思います。
今の子供達の遊びに共通する点は、すべて管理されているということ。
自分でこうしてやろう、ああしてやろうといった遊びの余白がまるでありません。
はみ出した部分こそが本来の遊びであり、今の子供達が小さな液晶画面やテレビでやっているゲーム等はある意味単なる時間つぶしでしかないように思います。
遊ぶと言うことは、自分を出すと言うこと。
自分を出して、周りと関わり合う中で思い出が生まれ、その過程の中で、時が経って振り返った時に「故郷−ふるさと」と言える対象が心に刻み込まれていくのだと思います。

「ふるさと」は、土地というハードだけではありません。
人そのもの、人との関わりも「ふるさと」です。
世の中の人間関係そのものが希薄になって来ているがゆえ、「ふるさと」という感覚もまた薄くなってきているのかなと感じます。
一月の今月の言葉に「石徳五訓−石の話」をしましたが、めまぐるしく流動的な社会の中であればこそ、せめてお寺くらいは変わらずに「あ、変わってないじゃん」という存在でありつづけ、人と人、人と地域を結びつける接点であり続けたいと思っています。
住職記

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