無量光

 無量光とは、無量光仏=阿弥陀仏の名前です。
阿弥陀様は自らの世界である浄土へ人々をすくい取ろうとされる仏さまであり、大乗仏教の代表的な仏さまです。
阿弥陀様を本尊とするのが浄土宗や浄土真宗。
私達の曹洞宗も多くの仏さまの内の一人として阿弥陀様を経文の中でお唱え致します。
この「無量の光」あるいは「無数の光」、「光」、「光明」といった言葉は、阿弥陀仏に限らず仏の教えの素晴らしさ、そしてその説くところの世界を表す際に経文の中に大変よく出てきます。
仏像の後ろによく見かける放射状の装飾は−装飾ではなく−「光背/こうはい」といい、「後光が差す」の後光を形で表したものです。
「オーラ」という言葉を最近は一般に使いますが、人並み外れた能力を持つ人には、何かしら体の内側にある光り輝くものが外側にも溢れ出てくるようなことがあるのかも知れません。
仏教に限らず、キリスト教のイエス像やマリア像の後ろにもまさに「後光」のようなものがよく描かれています。
「光」は、尊きものの象徴として古来人類共通の感覚なのでしょう。

元来、光は太陽からもたらされる、生命の源です。
光がなければ作物は育たず、また、文字通り世の中真っ暗闇です。
何ものも生きていくことは出来ません。
この世に根源的に必要であり最高に大切なものとして、「光」は我々人類が遙かな過去に知性を獲得した時から深く心に刻み込まれてきたのだろうと思います。

煩悩に惑わされた状態を、「無明/むみょう」といいます。
まさに明るくない、光がない、光が届いていないということ。
今月8日は、お釈迦様が遙かな昔、光と花に満ちあふれたルンビニーの花園で産声を上げられた日です。
春の光は柔らかく、そして暖かです。
この世にあるものを無条件に暖めてくれる−それが「光」。
春の光をいっぱい浴びて、心を暖め。
光が届かない、気付いていない人達に、上を向いて光に気付かせ、
暖かな光の輪を広く広く拡げていく。
そんな無数の光の輪の、ささやかな一つであれたら素晴らしく幸せなことです。
住職記

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