死と生−終戦記念日

 65年前の8月15日、終戦を告げる玉音放送が流れ、日本人にとっての戦争が終わった。
毎年、お盆の季節になると、太平洋戦争関連の番組がテレビで放映され、雑誌では特集が組まれる。
この8月旧盆は、日本人にとって忘れられない季節だ。

私の戦争(太平洋戦争)に対する心情は、今は亡き祖母の口から語られたものがベースになっている。
戦時中の灯火管制の時の様子。
生活物資の不足。その中での生活。
終戦となり、帰還兵を乗せた船が着く京都の舞鶴まで電車で迎えに行き、帰還してきた夫の戦友から夫の戦死を告げられた時の祖母の悲しみ。
戦後の混乱期を子供3人を育てながら寺を守った奮戦記。
そして、祖母が保管していた戦地からの祖父の手紙の数々には、家族を思う気持ちが切々とつづられており、妻と小さな3人の子供を残して遠い南の島で明日をも知れぬ日々を生きていた祖父の心中が察しられ、今読んでも胸の詰まる思いである。

今、戦争が終わって65年が経った。
戦争を体験した人の数も次第に減ってきている。
戦争は日本人にとって、映像の中だけ、活字の中だけのものになりつつある。
それだけ平和だということで、良いことではある。
しかし人間とは情けないもので、平和なら平和で平和ボケしてしまうのである。
平和で安全で快適な日本の社会では、今、親が子を虐待し、子が親を虐待し、親が子を殺し、子が親を殺すといった事件が日常的に起こっている。
自殺者も年間3万人。
異常である。
戦争を体験してきた人々には、理解不能と思う。
なぜこんな事が起こるのか?
なぜ命をそんなに粗末にできるのか?
私は、この現代の異常な事態の背景には、日本の社会の中に死を感じられる機会があまりに少なすぎると言うことが原因の一端としてあるのではないかと思っている。
平和すぎる日常の中で生が浮遊している。
地に足がついていない。死に足がついていない…つまり、死から離れすぎてしまった生がバランスを失って本来の生物としての生から逸脱してきている。
そんな状況に今の日本の社会はなってきていると思う。
バランスを欠いた生の異常行動が多くの親殺し、子殺し、そして自殺といった結果となって現れているのではないだろうか?
陰と陽、プラスとマイナス、善と悪、そして生と死。
何れも片方がなければ、もう片方もない。
生きているものにとって、死は確実なものだ。
にもかかわらず、死を確実なものとして感じられないというところに現代日本に生きる我々の大きな問題があるように思う。

戦争は悲惨である。
死と恐怖と苦しみにあふれている。
その苦しみを味わった人達は、その苦しみをもう思い出したくないかも知れない。
すでに高齢であり、話してくれというのは酷かも知れない。
でも、それでもぜひその苦しかった日々のことを子や孫やひ孫に伝えていって欲しい。
死と隣り合わせに生きた恐怖と苦しみを話して欲しい。
死の存在が希薄な平和な社会を生きていく若い人達に戦争の体験を語って欲しい。
近しい人のかつての苦しみと悲しみは、それを聞くものの苦しみと悲しみとなり、その人の生を底辺で支える力となっていってくれるであろうから。
住職記

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