生者必滅

 生者必滅(しょうじゃひつめつ)
二月は一年で一番寒い季節。
その寒い季節に「死」というさらに寒い話題で恐縮です。
しかし、地球が回り春夏秋冬がめぐって来るがごとく、肉体を持つ私達もまた生老病死という止めることの出来ない変化の流れの中にあります。
命あるものであれば、人間でなくても皆同じ。
生まれたものは、いつか死を迎えます。
誰でも知っている当たり前のことです。
そしてこれは人生における最高の重大事。
でも私達は普段、この重大事を自分自身の問題として真面目に考え、向き合うということをしているでしょうか?
今日あるように明日があり、あさってがあり、同じように日常が続いていく…そんな漠然とした未来への感覚…生活の中での実際はそんなものだと思います。
そしてある時、身近な人の死に出会い、或いは自ら重い病気になり、人生の先に待ち受けている自己の消滅という事実に真正面から立ち向かわざるを得なくなる。
私達は普段、死を意識しません。
死のことばかり考えていたら、日常生活や社会生活が成り立っていきませんから、これはある意味当然のことです。
しかし、突然に、或いは病気などの場合は徐々に、確実かつ避け得ないものとして死はいつか必ず私達の前に現れます。
人生は限られたものです。
時間制限があります。
ただ、普通は時間制限がいつまでなのか分からない。
分からないがゆえ、なんとなく私達は不安を感じずに暮らしていることができます。
ガンになると余命〜年とか、〜ヶ月と宣告されることがありますが、別にガンにならなくても単に分からないだけで余命〜年(あるいは〜ヶ月かも)であるということは誰でも同じです。
「〜」に入る数字が不明であるだけ。

釈尊は自らの死期が近いことを知り、「この世は美しい、人の命は甘美なものだ」と言ったと伝えられています。
命は消えて行くものであるがゆえ愛おしい。
矛盾に満ち、愛憎悲喜入り乱れた人の命であるけれども、その命を充分に生かし切り精一杯に生きた人には、人生の終点に近づいた時そこにある種の甘美とも言える感覚が生まれてくるのかもしれません。
そんな感覚を最後に味わって人生を終えることができたらなんとも素晴らしいことだなと思っています。
住職記

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