人間五十年

 「人間五十年
 下天の内をくらぶれば
 夢幻の如くなり」
織田信長が好んだという「敦盛」という舞いの口上です。

信長は、「人間の命は短い、短いがゆえ己の思うままに生きるべし」そう思いながらこの舞いを舞ったのだと思います。
乱世であった戦国時代でも、信長ほど既成の伝統や常識を無視し、意に介さなかった武将はいません。
常に己の思うまま、考えるままに一直線に行動しています。
であるがゆえに、短い人生の内に地方の一大名から天下統一のすぐ手前まで到達することができたのでしょう。

今、人生五十年ではなく、平均寿命で言えばほぼ人生八十年というところ。
自分自身に当てはめてみると、さてあと何年位生きられるでしょうか?
ちょっと引き算をしてみて下さい。
八十から自分の年齢を引いてみて下さい。
なんとなく、え、そんなものかな、ちょっと短いかも。
あるいは、そんなに長くなくてもいいかな、という人もいるでしょう。
あと一年しかない…大丈夫、八十年はただの平均ですから、この文章を読んで引き算している貴方はまだしばらく生きられると思います。
人によっては八十年じゃもう過ぎちゃったよ。という方もいらっしゃると思いますが、そういう方はすでに長生きできているということでご同慶の至りです。

さて、「敦盛」は、上の有名な言葉のあと「一度生を享け、滅せぬもののあるべきか…」と続きます。
長い短いは人それぞれ、感じ方もそれぞれ違います。
長くても短くても、いずれにしてもいつか私達の命は終わります。
それがいつなのか、それは誰にも分かりません。
でもいつか終わる。これは間違いないことです。
一年経てば、一年づつ自分の持ち時間が減っていきます。
これは、時折思い起こすべきことだと思います。
日常という言葉には、その字のごとく日々が常に変わらず流れているという感覚が基本にあります。
なんとなく毎日を過ごしていると、つまり日常を日常のまま過ごしているといつの間にか最後の終点に行き着いてしまいます。
それでいいのか?
何かするべきことは? したいことはないのか?
「人間五十年
 下天の内をくらぶれば
 夢幻の如くなり」
信長の愛したこの言葉は、いつ終わってしまうかもしれないこの人生をおまえはどう生きるんだと、私達に問いかけているように感じます。

私達は皆、自分の人生の主人公。
主人公として生きないともったいないように思います。
住職記

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