諸縁を放捨し、万事を休息す

 曹洞宗の祖、道元禅師は人々に広く坐禅を勧める「普勧坐禅儀」という文章を書かれています。
そのなかに、この「諸縁を放捨し、万事を休息して善悪を思わず、是非を管すること莫れ。」という坐禅にあたって大変大切な心得が出てまいります。
諸縁を放捨する…私達は一人一人それぞれ様々な形で周りの人々と結びつき関係を持っています。
無くてはならない結びつきもあれば、ちょっと面倒な付き合いもあったりします。
それを全て放捨…つまり放ち捨ててしまう。
これが「諸縁を放捨する」という言葉の意味です。

そして「万事を休息する」…これは言葉通りあれやこれや頭の中にあることをいったん離れて、心の活動をお休みにするということ。

つづいて「善悪を思わず、是非を管すること莫れ」…これはもうなんでもいいから何にも考えるな。頭の中にあることは全て放っておけ。というような意味です。

今の私達は本当に様々な社会的な関係の中で日常を生きています。
社会は情報化社会で、非常に複雑です。
人との付き合いは、生きていくのに必要なことですが、この複雑な気を使うことの多い世の中では、時にちょっと面倒になったりしてしまうこともあります。
体と同じように、心も疲れます。
この社会の中で、日本では毎年約3万人の人々が自ら命を絶っていきます。
これは、先進国の中では世界1位。
失業率との関係もさることながら、その多くは心の病に原因があるとのこと。
ちなみに交通事故でなくなる方は毎年約5千人。
交通事故で亡くなる人より、自殺者の方が6倍も多い。
いかに日本人が精神的に疲れる状況下で生活しているかを物語っているように思います。

お寺という所は、精神的にも空間的にも世間と一歩離れた場所です。
ときおり、この世間から少し離れた場所へ来て、諸々のしがらみをいったん忘れ、日常から離れて心を自由にさせ、精神をリセットする。
坐禅をそんなものとして捉えていただいていいと思っています。

よく、坐禅をする時は心を無にしなければならない。などと言われますが、そんなことはありません。意識があるのに心が無になるわけがありません。
生きている間に心が無になるなど寝ている時くらいのものです。
何を考えていても良いのです。坐っている時の心の中はどうでも良いのです。
なーんにも気にすることはありません。
ただ、坐る。
背筋をまっすぐ、少しあごを引いて、肩の力を抜く、目は閉じない。
そして、ゆっくりお腹で呼吸をする。
ただそれだけ。
ゆっくりと時間が過ぎていきます。
30分〜40分で終わり。
これで、いつのまにか心も体もリフレッシュ。
足は組めなければ組めないで、くずしてもOKです。
修行でもないのに痛くて坐禅して何になるのでしょう。
ぜひ、楽な気持ちでお寺に坐禅に来ていただければと思います。
毎週日曜日朝6時から坐禅の時間を設けています。
どうぞ、お気軽にお越し下さい。
住職記

今月の言葉 に戻る