諸行無常

 今、大河ドラマで「平清盛」をやっています。
ドラマが始まってすぐ、舞台となる地域の某県知事さんから、「画面が暗い、県のイメージダウンにつながる」とNHKに苦情があったということで話題になりました。
自らが県政を預かる地域を想えばこその発言だと思いますが、私はちょっと早計な苦情ではないかなと思いました。
平家は清盛によって隆盛の頂点を極めるわけですが、そこに到る前段として暗くほこりっぽい情景があった方が、その後の(多分)絢爛たる平氏の世界が生きてくるのではと思います。
あるいは、そのまま暗いまま最後まで行ってしまうかもしれず、この私の考えも早計なのかもしれませんが…

「平氏にあらずんば人にあらず」とまで言われた平氏の隆盛、そして源氏との覇権争い、壇ノ浦での最期の滅亡。
歴史の上では比較的短い時間の内で起きたこの平氏と源氏の興亡は、まことに人の世の移り変わりの儚さを象徴する出来事として日本人の心の中に刻み込まれています。
それがゆえ、平家物語という長大な物語が書かれ、語り継がれてきたのでしょう。
冒頭の、祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり…は学校の教科書にも出てくる有名な言葉です。
この言葉に続く平家物語の書き出しの部分は、まさにこの世の無常を哀愁と共に語っています。

無常、無常観というと、どうしてもこのように哀しい、ある意味暗いイメージがつきまといます。
しかし、仏教本来の「無常」という考え方は、なにも常に哀しみと共に語られるわけではありません。
「無常」というのは、この世は変化していく。といういわば当たり前のことのみを意味します。
良くも悪くも無常です。
人が生まれ成長していくのも無常だからですし、病気になって或いは治り、或いは死んで行くのも無常です。
この世が無常だからこそ平清盛は栄達し、無常だからこそ平家は滅亡した。
無常だからこそ源氏は平家に勝って鎌倉幕府を開き、無常だからこそいつの間にか歴史の表舞台から消えていった。
プラスの意味でも、マイナスの意味でもこの世は「無常」。
「無常」とはそういうことです。

わたしはこの大河ドラマの「平清盛」、平家物語の持つ哀愁とともにみるのではなく、時代を変えていく積極的な意味での「無常」の主人公として見ていきたいなと思っています。

今、日本は政治的にも経済的にも閉塞感に充ち満ちています。
そんな状況を打破するプラスの強力な「無常」をまとった人間が現れないかな…というささやかな期待と共に。
住職記

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