唯我独尊

 先日、新聞を読んでいたら日本の子ども達の自分自身に対する自己評価が、諸外国に比べると非常に低いと言うことが話題になっていました。
自己評価が低い、つまり自己肯定感が低いということ。
これは、結構問題だと思います。
見方によっては、常に上を目指すという社会の雰囲気や親の意識があって、勢い子どもも今の自分をあまり評価できない、という要素もあるのかもしれません。
しかし、結果として自分を自分で肯定できないというのはやはりどこか問題があるように感じます。

日本は島国です。
狭い国土に沢山の人が住んでいます。
文化の基本は農耕文化。
つまり常に周りと同じ行動を取ることを良しとする文化です。
そして、昔から日本人は勤勉です。何故これほど勤勉なのか?
儒教文化の影響もあると思いますが、しかし、世界の中でこれほど真面目に働く民族は他にないように思います。
理由はともあれ、日本人の生活は、物理的にも心理的にも人と人との距離が近く、常に周りを気にする必要があり、まじめが基本。ということです。
そんな日本ですが、昔(30〜40年位前まで)の世の中は、今ほどせわしくはなかったように思います。
現在のように道路や交通機関が発達していなかった時代は、どこへ行くにも時間的な距離が今よりはるかに大きく、人の感じる国土面積は今よりずっと広かったでしょう。
ケータイもインターネットもメールもツイッターもミクシィもフェイスブックもありません。
心理的な人と人との距離が今よりずっと大きかったはずです。
全体にもう少し時間的心理的余白というか余裕があったのではないでしょうか。
この余白=マージンというのは大切です。
いつもいつも携帯電話やメールに追いかけられていると疲れてしまうのは私だけでしょうか?
日本人は真面目ですから、連絡を無視することに抵抗を感じます。
心に負担を感じると言うこと。
便利な物というのは往々にして諸刃の剣です。
便利だと思って作り出したものに、いつの間にか逆に使われている、振り回されているという状況が今の日本の世の中には結構あると思います。
そして、世の中が安定すればするほど、真面目な日本社会は真面目であるがゆえ規則だらけの管理社会へと変わってきています。
少子化で子供が少ないですから、大人の目が良く行き届きます。
あれをやってはダメ、これをやってはダメ。
あれをしなさい。これをしなさい。
あそこへ行ってはダメ。この中で遊びなさい。
「遊び」というのは本来、規則や枠をはみ出た所が面白いものです。
犯罪でない限り、枠をはみ出た人間や行動をもっと大目に見るべきです。
子どもにおいては特にそうです。
小さい時から管理されていると、子どもの本来持っている生命力=創造力がしぼんでいってしまいます。
それが、結果として日本の子ども達の自己肯定感の低下という状況を招いている様に私には思えます。

最近、日本ではうつ病が非常に増えているとのこと。
子どもの自己肯定感の低さといい、うつ病の増加といい、色々な意味で窮屈になってきてしまっている日本社会の状況に原因があるのではないでしょうか。

今の日本は農業主体の社会ではありません。
周りのことばかり気にする必要はないのです。
周りの人への思いやりは勿論大切です。
思いやりと、周りのことを気にするということは、似ていますがある点において正反対。
思いやりは主体が自分ですが、周りのことを気にするということは、主体が「周り」です。

人はもっとやりたいことをストレートに追求していくべきです。
人生は一度だけ。
そして、その主人公は自分自身以外の何物でもありません。
もっと自分を見つめ、この「いのち」を見つめ、伸びやかに、授かった「いのち」の力を活躍させていくべきだと思います。
住職記

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