命の表裏

 人間、生きていると色々なことがあります。
仕事で大変なこと、人間関係で大変なこと。
様々な問題を抱えながら、日々を過ごしているのが私達の日常です。
時々、あまりに大変なことがあるとこの現実から逃げ出してしまいたくなることがあります。
でもそんなことは出来ない…
いや、出来なくもありません。一つだけ方法があります。
自殺ということ。
現実から完全に逃げることの出来る唯一の手段です。
この手段の問題点は、元に戻ることが出来ないということ。
つまり、「死んだら終わり」。
そもそも、生きている者にとって死は、本能的に何とかして避けたいものである筈です。
にもかかわらず、最近この最後の手段を取る人が大変多くなってきました。
なぜなのでしょうか?
昭和の高度成長期より前をさかのぼると、庶民の生活は今より苦しい時代が確実に多かったはずです。
それでも今ほど自殺者はいなかったのではないでしょうか?

ところで、
去年の秋から、お寺でメダカを飼っています。
正確に言うと娘が飼っているのですが、小さな体でちょこちょこすばしこく泳ぐ姿がなんとなく可愛く私も時々覗いています。
水鉢に氷が張るほど寒い冬に外に出しておいても、動きは鈍くなりますがちゃんと生きています。
このメダカ、夏の初め頃卵を産んだのですが、一緒に入れたままにしておくと親が孵った子メダカを食べてしまうのだそうで、別の入れ物に移しました。
それでも少し卵が残っていたらしく、しばらくしたら小さな本当に小さなメダカが親メダカの水鉢にも見られたのですが、いつの間にかいなくなってしまいました。
きっと親メダカに食べられてしまったのでしょう。
親メダカは自分の子供を食べてしまったとも知らず、元気に水鉢のなかを泳いでいます。

メダカは無心に生きています。
何かのためにとか、目標が有ってとか、子供を立派に育てようとか、そういう「雑念」はありません。
ただ「生きている」。
本能のままに、小さな生き物を食べて生きています。(飼う場合は専用の顆粒状のエサですが)
たとえそれが自分の子供であっても、見つけた生き物を食べて生きていく。
私はこのメダカの純粋な「生」が好きです。
生きるというのは、「生きる」ということだ。
メダカを眺めながらそんな風に思ったりしています。
最近、時々朝水鉢を見るとぷかりとおなかを出して水に浮いているメダカがいます。
短い一生を終えたメダカです。
メダカの一生は1〜2年とのこと。
小さな水鉢の中で小さな「生」と「死」が繰り返されていきます。

人もメダカも同じ「生」と「死」の自然の流れの中で生きています。
ただ人の場合、世の中があまりに複雑に人工的になりすぎていて、動物として自然に持っているはずの「生」「死」の感覚が鈍くなってしまっているように思います。
例えば、現代日本の特に若い人に、本来の意味で「空腹で空腹でたまらない」という体験をした人がどれほどいるでしょうか?
腹が減って死にそう…というフレーズはよく使われますが、本当にそんな状況を体験した人はそうそういない筈です。
私達は、殺された動物の肉を日常的に食べていますが、スーパーで売られている牛肉や豚肉の元の姿を、買う時或いは食べる時に想像するでしょうか?
童謡に、♪うさぎ追いし彼の山、小鮒つりし彼の川…♪ と古き良き日本の風景を思い起こさせてくれる唄がありますが、現実を考えてみると、捕まえたうさぎはおそらく食べたのではないかと思います。
昭和の初め頃、田舎では子供が小遣い稼ぎにうさぎを育て、それを買い取ってくれる業者の人がいたそうです。
当然そのうさぎは、今風に言えば「食材」として売られたはずです。
ですので、山で捕まえたうさぎの運命も同じだったと思われます。
日本では現在、うさぎを食べるという習慣は少なくなってきましたが、フランス料理にあるジビエというのは、野で捕れた鳥獣肉を意味し、今でも野ウサギは定番の一つだとのこと。
牧歌的な風景の裏側には、リアルな「生」と「死」があります。
そんな「生」と「死」のリアルをなかなか感じることが出来ないのが今の日本の社会だと思います。
現実の「生」と、その「生」に対する当事者(私達)の感覚が乖離してしまっているように感じます。
切れば血の出るリアルな「生」と「死」を日常の中で感じていれば、これほどの割合で自殺者が出るということはないのではないでしょうか。
現代日本人は、生きることにもっと貪欲になるべきです。
草食系男子の増加と自殺者の増加は無縁ではありません。

「生」を感じることの出来ない現代社会に生きる日本人は、いつか必ずやってくる自らの「不存在」=「死」を積極的に想うべきです。(自殺を考えるという意味ではなく)
「生」のむこうに、或いは裏側に必ず存在している「死」。
「死」を想うことによって、つまり逆から光を当てることによって、「生」の感覚、命の感覚を幾分かは取り戻すことが出来るのではないか。そのように思います。
住職記

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