身をけずり 人に尽くさん すりこぎの その味知れる人ぞ尊し

 5月は観光シーズン。
福井県にある曹洞宗大本山永平寺にも沢山の観光客の方がやってきます。
お寺の中を案内するのは大体1年目の修行僧。
案内をしていく中程で、庫院(くいん)というお寺の台所に当たる場所の前に大きな摺子木(すりこぎ:実際はお寺の建築の際に使った地突き棒)があり、その摺子木の説明の際にこの歌についての話をします(今でも多分そうだと思います)。
おそらく、永平寺で修行をした人なら誰でも知っている歌です。
意味としては、摺子木に託して食事を作ってくれる人への感謝を大切にという事だと思いますが、ここで注目したいのは、摺子木=食事を作ってくれている人 が尊いと言わずに、摺子木の有難さを分かる人が尊いと言っていることです。
他の人のために一生懸命努力している人の労苦を感じ取り、そのことへ感謝の気持ちを持てる…そんな人が尊いということ。

今、KYという言葉が新聞や雑誌等によく出てきます。
「K…空気が、Y…読めない」という意味だそうで、自己中心的で周りの雰囲気を気にせず、発言や行動をしてしまう人のことを言うようです。
確かに、若者に限らず社会全体的に自己中心的な人が増えてきているかなと言う気はします。
今の日本の社会は、構造がどんどん複雑になり、そして便利に何でも出来てしまいます。
そんな環境の中では、人のことをあまり気にしなくても、特に困ること無くやっていけてしまう…この社会的背景も自己中心的な人が増えていることの要因としてあるように思います。

空気を読む…ということは、その場の雰囲気を感じ取ると言うこと。
人の気持ちの受信能力と言っても良いかもしれません。
この受信能力が低下しているというのは大きな問題です。
人の気持ちを感じ取るというのは、人間として非常に大切なことです。
人間とは人の間と書きます。
周囲が有っての人間です。
ひとりぽっちの空間に放り出されたら、私達は生きていくことは出来ません。
周りの人達の気持ちを感じ取れるよう、心の受信回路は常に開けておく必要があります。

 身をけずり
 人に尽くさんすりこぎの
 その味知れる人ぞ尊し

”すりこぎのお陰”を感じ取れる心でいたいものです。
住職記

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