雨ニモマケズ 菩薩行

 宮澤賢治のこの「雨ニモマケズ」。
冒頭の「雨ニモマケズ 風ニモマケズ」というフレーズは、日本人であれば、ほぼ知らない人はいないのではないでしょうか。
この有名な文章の全文を読んでみますと、清貧、無私、自己犠牲と博愛の精神があふれています。
賢治は法華経に傾倒していたと言われています。
であるからか、多くの言葉を費やすより、賢治のこの詩の精神は、「菩薩行」(ぼさつぎょう)という仏教の言葉で的確に表すことが出来るように思います。
菩薩行とは、菩薩の行いという意味。
菩薩の代表として、観音様やお地蔵様があげられます。
それぞれ、観世音菩薩と地蔵菩薩。
菩薩とは何か?
菩薩とは、自ら仏に成る力を持っていても、あえて人々のためにこの世にとどまり、苦しみ迷える人々を救い続ける存在のこと。
菩薩は何故この世にとどまり続けるのか?
それは悲心を持つが故。
悲心とは、この世に生きている者達の苦しみや哀しみに共感し、その者達を救おうとする心。
賢治の詩は、この悲心にあふれています。
苦しむ人、困っている人を救いたい、助けてあげたい、そんな願いでいっぱいです。
この詩は、賢治の死後発見された手帳に書き付けてあったものだそうです。
人に見せるためでなく、ただ純粋に自らの心情を吐露した…そんな文章のようです。
であるからこそ、読む者の心にストレートに入ってきて、気持ちを揺さぶる力を持っているのかもしれません。

賢治の故郷である岩手県は、3年前の震災で大変な被害を受けました。
震災直後は、募金やボランティアなどの活動が盛んに行われていました。
しかし、時間の経過と共にそれらの活動も次第に少なくなってきていると思います。
大きな災害が起こると、被害を受けた人々に世間の同情が集まります。
しかし、世の中には災害のあるなしにかかわらず、様々な理由で困っている人、苦しんでいる人々が沢山います。
つねに、どの様な時も人々の気持ちに寄り添い、人々と共に苦しみ、哀しみ、そしてそれを何とか助けようとする…それが悲心であり、菩薩の心であり、賢治の「雨ニモマケズ」という文章に吐露された心情なのだと思います。
現実と乖離しているので、言いづらいのですが、「雨ニモマケズ」に書かれていることは、僧侶の理想の姿でもあります。
今回テーマにした「雨ニモマケズ」、実は最近私の娘が小学校の宿題でさかんに家で音読(声に出して読むこと)をしているので、つられて私自身もこの詩を読み返し、あらためて感動し取り上げさせて頂いた次第です。
日本人の持つ美しい心を伝えるこの「雨ニモマケズ」、ぜひ小学校の教科書で取り上げ続けて欲しいと思います。
住職記

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