緑蔭の風

 もうかなり前の夏、子どもを連れて軽井沢へ遊びに行った時のこと。
俗に軽井沢銀座と言われる賑やかな原宿のような通りをはずれ、裏手の森の中を歩いた時、あまりに涼しいので驚いたことがあります。
軽井沢が避暑地として有名なのはあの手入れされた大きな森の中にあるからこそなのではと思います。
森の中の涼しさは、クーラーの涼しさとは別物です。
適度な湿気、爽やかに通り過ぎていく風、室内の人工的な涼しさとは全く違います。
ずいぶん前から、クーラー病という言葉が聞かれます。
都会のオフィスなどで、クーラーの効いた室内に長時間居すぎて、自律神経の働きがおかしくなり、体調を崩してしまう症状を言うようです。
あまりに人工的な環境は自然な体の働きを乱してしまうということなのでしょう。
人は自然から離れて生きていくことは出来ません。
人の食べ物である穀物も、肉も魚も野菜も果物も全て自然の恵みです。
自然が作り出すものです。
人はただその仕組みを利用しているだけです。
自然が壊れてしまえば人もまた生きていくことは出来ません。
環境保護という言葉が良く聞かれますが、私はこの「環境保護」という言葉は大変傲慢な言葉だと思います。
環境とはつまり自然であり、自然の一部が人間です。
一部である人間が、全体である環境=自然を保護するというのは思い上がりではないか?
そう感じます。
東北の震災や原発事故などのことを考えると、人はもっと自然に対して謙虚に畏れを持って接していかなければいけないのではないか。
自然への畏敬の念を忘れると、ろくな事は無いような気がします。
科学や技術はどんなに進んでも常に限界があります。
自然に生かされている。そんな意識を日常的なレベルで持つべきだと思います。
自然に生かされている自分。その感覚から、しぜんに自然への感謝の気持ちが出てくるように思います。
私達に命を与えてくれているこの大きな自然に対し、謙虚さと共に感謝の気持ちをいつも心の中に持っていたいものだと思います。
住職記

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