苦集滅道

 お釈迦様が何を悟られたか?
教科書に出てくるのは、先ずこの四諦(したい)と呼ばれる苦集滅道(くじゅうめつどう)の教えです。
苦と集と滅と道の四つから成り立っているので四諦と呼ばれます。

 苦−人生には苦しみが存在する。
 集−人の苦しみは執着によって生まれる。
 滅−執着を滅すれば、苦も滅する。
 道−執着を滅するための道−八正道(はっしょうどう)がある。

この八正道(八つの正しい道)は、正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定から成っています。
一つ一つ解説は致しませんが、この八つは物事を正しく見、正しく考え、正しい行動をすることと要約出来ると思います。
正しくというのは、片寄りを離れるという意味であり、自らの煩悩(執着)を追い求めない姿のこと。
結局、釈尊の教えは「執着を離れよ」という一語に帰着するように思います。
いかにして離れがたい執着から離れるかということを巡り、釈尊はその方法・道を生涯をかけて説き続けました。
ガンダーラで出土した釈迦苦行像というものがあります。
かなり有名な像なので知っている方も多いかと思いますが、六年間にわたる修行でほとんど骨と皮だけになってしまっている釈尊の像です。
私はふくよかで穏やかなお釈迦様の像も好きですが、道を求める厳しさと激しさを感じさせてくれるこの釈迦苦行像にも惹かれます。
自己と対峙し乗り越えようとする気魄、生身の釈尊のリアルな姿をそこに感じます。
釈尊は苦行の末、苦行自体も片寄った修行であり、ある種の執着であると観じ、ついに自己と執着との軛を断ち切ることに成功しました。
厳しさの果てについに安らぎに到達したのです。
そして釈尊が説いたのが、苦集滅道の道理であり、安らぎに到る八正道という実践方法でした。
人間は、無くて七癖といいます。
片寄らないということは、口で言うことは簡単ですが、実際には大変難しいことだと思います。
釈尊は、そのために戒律を作りました。教団での生活等全般にわたる掟です。
人生という起伏の激しい荒野の中に設けられた、オアシスへ到るための道しるべと言えるものです。
この道しるべ、戒律は現在の日本の仏教にもその重要な部分が伝えられています。
殺すなかれ、盗むなかれ、淫らであるなかれ、嘘をつくなかれ、酒を勧めるなかれ、説きすぎるなかれ、自慢したり人の悪口を言うなかれ、物を惜しむなかれ、怒るなかれ、仏と仏法と僧について悪く言うなかれ という十の戒(いましめ)がその中心です。
仏教徒であれば、誰でもこれを守らなければなりません。
しかし、書き連ねてみて正直、自分自身とても完全には守りきれないなと言うのが実感です。
僧侶がそんなことでどうするのか?
確かにそうなのですが、それが現実です。
大切なことは、この道しるべから外れないように努力し、外れてしまったらまた道しるべの所に戻るということだと思います。

歳晩にあたり、今年一年の自分を振り返り、道しるべから外れてしまっている部分を反省し、新たな年に向かってゆきたいと思います。
住職記

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