涅槃会

 お釈迦様は、歴史上実在した人物です。
人として生まれ、人として死んでいきました。
生没年は不詳ですが、食あたりでお腹をこわして八十才で亡くなられたと伝えられています。
釈尊の説いた教えは、人から人へ人として説かれた人生を生きるための教えです。
血の通った肌の温もりがこもった教えです。
この言葉は、時代を超え、暖かく人を包みこみ、癒して来ました。
この様々な釈尊の言葉が時代の流れと共に仏教として形を得、今に続いています。
釈尊の心の奥底には、どのようにしても逃れることの出来ない人の世の苦しみと、その中を生きていかねばならない同胞達(人々)への限りない同情があった様に私には思えます。
この同情の心を純化したものが「慈悲」と呼ばれるものではないでしょうか。
古今東西、仏像といわれるものは沢山ありますが、そのお顔はみな優しく柔和です。
京都などのお寺に行くと、広目天、多聞天、持国天、仁王像など怖い顔をした像が沢山ありますが、それらはみな仏を守る守護神であり、仏ではありません。
仏は究極の優しさの体現者です。
そしてその優しさの裏側にあるのは悲しさです。
生きることの辛さを底の底まで知り抜いているからこそ、その悲しみから同胞達への優しさが生まれてきます。
人はみな、人生という終わりある旅を共に行く同胞。
今日ある命が、明日も同じようにあるかは誰にも分かりません。
もし運命というものがあるのなら、仏さまでもその運命を変えることは出来ないでしょう。
ただ、その運命をそれがどのようなものであれ、その悲しみを優しく抱き取ってくれるのが仏さまです。
それが仏であり、私達の運命です。

その運命をしっかり観じよ。
そしてその自分の命を最後まで大切に生ききりなさい。
二月十五日にまつられる涅槃図のなかで横たわる釈尊は、そう静かに私達に語りかけているように思います。
住職記

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