昨年の12月始め、小学2年の娘が学校でサケの卵を5個もらってきました。
受精卵だそうで、よく見ると卵の中に何か黒い粒(眼)のようなものが見えます。
卵からサケが孵ってくるので、それを育てて3月始めに近くの川に放流するのだとのこと。さっそく透明なガラスのサラダボールに水を入れ卵を入れて、「早く孵らないかな」と親子で時々眺めていました。
しかし娘は正に三日坊主、すぐに飽きてしまい、世話をするのは私だけになりました。
10日位して一匹孵りました。おなかにイクラをくっつけたメダカのようなサケの姿は何ともかわいらしいものでした。
続いてもう一匹孵り、一匹は孵る途中でうまく卵から出てこれず死亡、あとの2つの卵は孵りませんでした。
私はもう、この時点で命の微妙さ生きているということの有り難さを感じて心がウルッとしてしまいました。
 イクラをお腹にくっつけている時は、サラダボールの底で横になっていることが多く、あれ死んでしまったのかな?と思ったりしましたが、どうもお腹が大きいので横になっている方が楽なスタイルらしく。そう思って見ていると何ともユーモラスです。
そして、2月の初めくらいだったでしょうか、すっかりお腹のイクラが吸収され元気よく動き回るようになり、エサも少しずつやり始めました。
エサをやり始めると水も汚れるので水を綺麗にしておくため、一日に半分くらいずつくみ置きした水を入れ替えるようにしました。
2月の終わり頃には4センチくらいの大きさになり、非常にすばしこく泳ぐようになり、サラダボールから飛び出さないように発泡スチロールの蓋をかぶせておいたのですが、放流の1週間くらい前に一匹が少しだけ開いていた蓋の隙間から飛び出してしまい、気が付いた時はサラダボールの下で不帰の客となっていました。
結局、5粒もらってきたサケの卵は一匹だけ育てることが出来、放流日当日、娘と一緒に(間違って飛び出さないように)ペットボトルに入れて会場へ持っていき無事に放流してくることが出来ました。
会場の係の人に聞くと、かなりの数のサケが放流場所の近くまで産卵のために帰ってきているとのこと。わが家で育てたサケもいつか戻ってきてくれたらいいねと娘と話しつつ家へ帰ってきました。
娘はサケにマジックで名前(わが家での名前はサケ子)を書いておきたかったようですが、可哀想だし、すぐ消えちゃうからやめようねと私に止められ、帰ってくる道すがらも、「帰ってきても分からないじゃん」と不満そうでした。
娘がもらってきて、私が育てたサケですが、今回の体験を通して命の精妙さ不思議さを身をもって感じることが出来ました。
できれば娘がもう少し大きくなって、自分で最初から最後までサケを育て、命の不思議さを感じてくれたらなと思います。
サケは三年〜四年海で育ち、そして生まれ故郷の川に戻ってくるそうです。
川で生まれ、海で育ち、また川へ戻り、次の命へバトンをつないでゆく。
何万年もそうしてサケたちは生きてきたのでしょう。
今、サケを放流した川の川沿いに植えられた桜が満開です。
サケが毎年戻ってくるのと同じように、桜も毎年咲き続けます。

 育てたサケを放流し、なんとなく空しい気持ちをもてあましていたのですが、枯れていたかのような枝から一気に花を咲かせる桜を目の当たりにして、また自分も頑張らなきゃなと改めて感じた次第です。
住職記

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